滝千春さんのヴァイオリン・リサイタルが大事件だったこと
滝千春さん。
ヴァイオリニスト、真のアーティスト!
昨夜のリサイタル、「プロコフィエフ没後70年 滝千春が弾く(かたる)新しい物語〜沼沢淑音と共に〜」
ものすごいプログラムでしたが、1秒たりとも楽しくない瞬間はなかった。
ピアノは沼沢淑音さん。
ギヤ・カンチェリ:ヴァイオリンとピアノのための「ミニチュアズ」第11番、6番
プロコフィエフ:5つのメロディ
シュニトケ:ヴァイオリン・ソナタ第2番"ソナタ風"
プロコフィエフ(根本雄伯編):ピーターと狼
ファジル・サイ:ヴァイオリン・ソナタ第1番
R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ
尖ってる!!!尖ってるぜ!!!
でも、決っして、どこにも、「奇を衒った」感がないのは、滝さんの芸術性が高いから。
滝さんの奏でる音は、どの一音にもとてつもないエネルギーが乗っていて意味が非常に濃く、モチーフは生き、フレーズは饒舌に語る。
天武の才を与えられた音楽とは、まさにこういう人のこと。
音楽的に濃いというのは、感情任せにしない音楽言語としての構築力がまずズバ抜けてすごいことと、そしていわゆる「趣味の良さ」(=おそらく多様な経験値が反映されている)が尋常ならざるレベルに達していて、さらにはヴィルトゥオーゾであるということで実現される。
滝さんの音・音楽はとても充実していて濃厚なのに、無駄な暗さ・情念みたいなものはなく、どこかカラリとしていて、それでいて深い。
や〜ズルいですね(笑)。ひとことでいうと、
モーレツに、かっこいい。
カンチェリといえば静謐で美しく...というイメージを冒頭から覆してくれるところが滝さん。こんなチャーミングな曲もあったのね。
シュニトケとサイの作品には、体温上昇しました。ずっとずっと、滝さんと沼沢さんの音楽の世界に遊んでいたかった。
お二人とも、こうした作品も単にエッジィに奏でるだけでなく、音色のレンジとコントラストが無限。沈黙も、強打も、抒情性も、表情としての無機質さも、すべて音楽的必然性をもって立ち現れてくるので、聴き手は、緩急の中で気持ちよく驚いたり、瞑想的な時間を生きたり、緊張したり、注意深く耳を澄ませたりできる。ああ、これぞ音楽!と思える。
プロコの「ピーターと狼」のアレンジも演奏も秀逸。シュニトケからの世界のギャップもよくて、この「振り回される感じも好き♡」と思った。
前半だけですでに75分(笑)
前半はアーバンな柄のトップスに黒いふわりとしたスカート、休憩後のR.シュトラウスではドールのようなナチュラル系のサンド・ベージュなワンピース。登場した瞬間、親戚のおばさんのように「あらかわいい!」と口から出てしまいました(笑)
で、R.シュトラウスも濃厚。
今や失われたロマンティシズムの最後の閃光がほとばしる、儚くも強烈な世界。これは、泣けた。
昨日は、滝さんのアルバム「PROKOFIEV STORY」のリリース記念コンサートでもありましたが、このCDがまたすごい。プロコフィエフのソナタ、1・2番と、かの「ピーターと狼」を沼沢さんと収録していて、演奏はもちろんのこと(BGMにはなりません、集中力全部もってかれます)、今こそ物理メディアとしての魅力を最大限に乗せたいと願った、滝さんのこだわりパッケージ、アートワーク、写真などなど。手に取ってるだけでも幸せです。
ピアニストの沼沢淑音さん。寡聞にして存じておりませんでしたが、滝さんが共演者として選ばれているのだから、きっと、とんでもなくすごい方なんだろうな、と思ってはいましたが、とんでもなくすごい方でした。
作曲家の人が弾くすごいうまいピアノ、みたいな演奏が私は大好物なのですが、沼沢さんのピアノにはそういうテイストを感じました。いやぁ....表情ひとつ変えずに、シュニトケのmollの強和音連打とか、サイの右手トリルの音型&左手の歌い回しの妙とか内部奏法とか、R.シュトラウスのシンフォニックなドラマとか、もう怖いくらいすごかった。
そうそう、滝さんのフラジョレットは口笛のように美しく、ピッツィカートはあからさまに「弾いてる」感じがしない何とも言えない音色だし、(サイで聴いた)ゆっくりフェイドアウトするみたいなデクレッシェンドの繊細さもすごかった。
いや〜。いいよね「心酔」できるアーティストがいるということ。この同時代を生きていてくれるということ。
やっぱり昨夜のリサイタルは、
わたし的にはもう、大事件だったな。