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わたしのミスドスーパーラブ

ミスタードーナツの箱の底面にひっついている、ゴールデンチョコレートのきいろいかけらを指にくっつけて食べるのがすきだった。

小学生の頃、父はたまに、朝ごはんにと仕事帰りにミスドを買ってきてくれたものだった。わが家は兄弟が4人(いちばん下の妹はまだ幼かったから、たぶん上の3人で食べていた)もいたから、いつでも箱ミスドだった。箱をひらくとみちみちとつめられて宝石のようにかがやくドーナツがそこにあった。思い返すだけでも幸福感にみちあふれる。

夜のうちから、わたしはこれ!おれはこれ!と戦線協定をむすぶことが多かったように思う。わが家の子どもたちはみな、ずるをすることに対しメロスなみの怒りを感じていたので、翌朝早く起きた者から食べるなどは言語道断であった。というか28歳となった今でもそんなことあってはならない、許されざることだ。

当時わたしがすきだったのはゴールデンチョコレート。ほろほろとしたドーナツにちりばめられた、カリカリとしたきいろいかけらたち。食べるとたちまち笑顔になった。こぼれ落ちたかけらたちは箱の底面に残っていて、あるいはのっけたお皿に残っていて、それらを指でくっつけて食べては母に呆れられていたものだった。思えば兄も弟もゴールデンチョコレートはすきだったから、けんかになることはなかった。

そして、いろんな味を楽しめるDポップもすきだったし、ココナツチョコレートは大人の味。ハニーチュロのまじわった部分のちょっと多めのシュガーレイズドは脳天がしびれるよう。それからポン・デ・リング!あのくびれた部分をひとつずつ食べるのも、それを無視してあむっと食べるのもどっちもすき。あのもちもち感は何にもかえられない。

今のわたしはゴールデンチョコレートには見向きもせず、子どもの頃は食べなかったカスタードクリームばかり、食べている。カスタードクリームはどきどきするドーナツ。ゆびにこぼれてしまったクリームを、こまかいお砂糖をぺろりとなめるのも、クリームをすこし吸ってたべるのも、どきどきする。あのまんまるのかたちもいとおしい。

ジャスコ(イオンといいますがわたしの中ではずっと、ジャスコなのである)のフードコート、実家のくらい台所、大学のちかくの路面店、いつでもミスドはわたしのくらしとともにあった。

こんど買うときはひさしぶりに、ゴールデンチョコレートを食べようね。

「ミスドスーパーラブ」という夢のような本を読んで、わたしのミスド愛について思わず書いてしまいました。ふしぎと人の思い出と結びついているミスド、今後も愛してゆきます!

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