いちごの唄
気づけば1ヶ月ぶりだ。といってもLINEのひとりグループにぽつぽつ言葉を投下したり、紙の日記にまとめて書いたり、11月に入ってからは10年日記というアプリをインストールしてまいにち日記を書いたり、とにもかくにも日記を書いている。書いて訓練をしている、まいにち訓練する。何になりたいわけでもないけれども、すきだから書いて訓練する。
ずっと紙で書いていたし、アナログな感じがすきだからそれで続けていたけれども、ふたりで暮らすようになってから書くタイミングが難しくなってはなれてしまい、消えていってしまった感情やことばにいてもたってもいられなくなり、アプリに移行した。使ってみるとすごく便利だった。写真も添付できるし、検索もできるし、通勤時間の長いわたしは電車の中で書けるし、今のところすごくよい。おかげでnoteからちょっとはなれてしまったけれども、バランスを掴める気がしてきたので、ちょっとずつ投稿したい。
たくさん本を読んだ。東野圭吾「マスカレード・ナイト」、カポーティ「叶えられた祈り」、川上未映子「愛の夢とか」、江國香織「赤い長靴」、村上春樹「騎士団長殺し」などを読み終え、いまは小池真理子「恋」を読んでいる。もともと本を読むことはすきだけれもも、さいきんは輪をかけてたのしい。どの本もおもしろかった。村上春樹の長編は久しぶりに読んだけれども、後半どんどん視界が狭まっていって没頭してしまい、読み終えたときは水面から顔を上げたかのように、思いきり息を吸い込んでしまった。
読んだ本はブクログに、みた映画はフィルマークスに、感想を書いておく。なんとなくいいな〜で終わらせておくのもそれはそれでいい、ことばにしないままでいいこともある。でも、noteもそうだけれど、ひとの目にふれる場所で書くという作業はじぶんの脳みそに手をつっこんで(ここまでは文章書くときはそう)、さらにかきまわす(ひとの目にふれるということは伝わる言葉で書かなくてはならないから)感じで、たのしい。ただ、記録することが目的になってしまわないように注意しなくてはならない。
あとは、箱根に行きポーラ美術館に行く、山形に家族旅行しに行く、などした。
ポーラ美術館は余白があっていい。モネとマティスの展示を見た。大学生くらいのとき、印象派がすごくすきだった時期があって、光の感じ、境目があいまいな感じ、よかった。いまはもうちょっと、マットな絵がすきみたいだ。
山形はすっかり紅葉が綺麗だった。
下から木をみたけれども、上からみた地球のようにみえる。枝が道路で、黄色い葉っぱが街のあかり。
家族旅行、10年ぶりくらいに行ったところすごくたのしかった。記憶に残っているのは誰もいない、紅葉が綺麗な斎藤茂吉記念館の庭を散歩して、ぽつぽつしゃべったこと。旅行はこういう瞬間がいとおしいですよね。
いちごの唄 / 銀杏BOYZ
「誰にもできないキスをしようよ」という歌詞に射抜かれて、アルバム出てからよく聴いてます。それにしてもアルバム名「ねえみんな大好きだよ」も、どきどきすることばだ。ひとのことがいとしくていとしくてたまらないとき、それがときには正常ならざる感じになってしまうとき、わたしはこのひとたちを聴きたくなる。
3連休うれしい、何しよう。休みははじまる前がいちばんたのしいのはわかる。何しよう。それでは!