太陽
いつのまにか夜は秋の匂いを感じるようになった。この前ごみを出すために外に出たときにふと思った。一回家に帰ってから、また外に出るときの匂いがすきだと思います
さいきんの週末はひとりでどっぷりとすきなことがたくさんできて、うれしかった。夫といるのがたのしいのは確かである一方、やっぱりひとりに安心してしまう。だからといってひとり暮らしにまた戻ることはできない、たぶんさびしくて泣いてしまう。(夫と暮らす前は、別れ際によく泣いていた、ほんとうに呆れる)ひとりがすきだけれど、ひとりにはなりたくないなんてとんだわがままだ。
わたしはサプライズが苦手な人間で、それは「びっくり!うれしい!」という気持ちの前に、「喜ばなくては、何かリアクションをとらなくては」という気持ちが先にきているからだと思う。それと同じでひとといることに対して、何かリアクションをとらなくては、と思ってしまっているのかもしれない。
家にいるとあいかわらず、家の中の光ばかり撮っている。
さいきんぼんやりとだけれども、「何かにふれたときにじぶんがどう感じるか」がじぶんとしては絶対的に大切にすべきだと考えています。
音楽も本も映画も絵画も写真も、言葉にはできない・なぜかはわからないけれど心ひかれる、すきだとおもう、そう感じることができるのがたまらなくいとしい。心がゆり動かされる、ゆさぶられるのがうれしいと感じます。
言葉にはできないとはいいますが、でも、感じたことをなるべく言葉にしよう、すきなものをたくさん集めようと思いました。言葉について、この前読んだ村上春樹「東京奇譚集」の中で印象に残った言葉。
言葉は言うまでもなく常に私たちの介在を必要としております。私たちがいなくなれば、言葉は存在意味を持ちません。
(中略)
発せられることのない言葉は、もはや言葉ではありません。
わたしがなにかに対して感じたことは、発せられることがなければどこにいってしまうんだろう。保坂和志「この人の閾」でも、おなじようなことを言っていたのもあるのかもしれない。どこに、わたしの中に残しておきたい気持ちがある。
生まれる場所も家族も選べない、選べないものだらけの中で、聴く音楽や読む本や観る映画などが選べるだけ、この世は救いだなと思う、思います。
太陽 / BUMP OF CHICKEN
藤くん、結婚おめでとうございます!あなたはわたしの光です。むかしはそうでもなかったけれど、この曲がさいきんはとってもすきです。イントロ、落ち着く。一見暗い曲なんだけれど、途中微妙に明るく聴こえるところがいいな。
ひとのnote読むの、ほんとうにおもしろいです。会ったこともない、会うはずのなかったひとの文章をこんなに気軽にのぞくことができるなんて、始めてよかった。noteはみなさんが、(きっと)丁寧に文章をつくりあげている感じがわたしはすきです。それでは!