命綱をつけてふわふわする
友人夫婦にめでたくお子様がお生まれになったので、比較的落ち着いたタイミングで夫とともに会いに行った。ところでわたしは小さき子どもがとことん苦手であり、あやす、という行為のやりかたがわからない。あまり近寄ることができなかった。ぎこちない人間ナンバーワンだった。
出産にともなういろいろをご教示いただくも、ここではっきりと、わたしは子どもを産むつもりありません、というのは角が立つし空気もわるくなる。伝え方がむずかしいとおもった。決して子どもを産むことを否定したいわけではないのだ。ただ、子どもを産む自由が保障されるのであれば産まない自由も尊重されたいというか自分を楽にしてあげる着地点を見つけたい。
とはいえ、赤ん坊がいる空間の魔法を確かに感じた。時間はあっという間に過ぎたし、見ていて飽きなかった。これは年老いた親たちはよろこぶのだろうな。でも親をよろこばせるという理由、ひとのために人間ひとりの人生を背負うことはできない。わたしはよわい人間だから、なにか嫌なことがあったらそのひとのせいにしたくなってしまう。
それにしても、もともと同年代ながら大人っぽい夫婦だなあと思っていたが、子どもができたことでもっと、地に足がついたしっかりした大人だ、とひりひり(?)した。人生の厚みをかんじます。しかしながらわたしはわたしで、しっかり命綱をつけてぞんぶんにふわふわして生きていくのだと決めている。
などつらつら考えて、自宅近くの駅でビールを飲み焼き鳥を食べた。そのあとペルシャ猫の写真を検索したらかわいかった。