【196日目】最高・さ、いこっかー・コップンカー


August 23 2011, 10:15 PM by gowagowagorio

8月14日(日)

最終日。今朝も、僕は朝6時にキッチリと目を覚ました。

依然として波が上がる要素は見当たらず、それほど期待はできない。しかし、わざわざボードを運んで来たのだから、もう一度あるチャンスを活かして、波乗りを試みようと言う訳だ。

昨日の教訓から、早めの行動で、潮が上げきる前にカタビーチに到着すれば、もしかしたら少しはサーフィンになるかも知れない。昨日と違って、今日僕は単独で西へ向かう。

近くにK家がいるためか、昨日、アキコは自ら「行ってくれば?」と提案してきた。もし我が家だけだったらそうは行くまい。

昨夜はそこそこ飲んだくれたが、いただいたチャンスを無駄にしないためにも、僕はばちっと覚醒した訳である。

僕がベッドからごそごそと這い出すと、暗がりの中に光る二つの瞳と目が合った。いつも早起きなミノリが、僕とほぼ同時に目を覚ましたようである。

「やあ、むにー」

僕は囁くように声をかけると、さっさと朝食を済ませに部屋を出ようと立ち上がった。カーテンの隙間から差し込む薄明かりがミノリのシルエットを浮かび上がらせる。

その時僕は違和感を覚えた。

ミノリに対する違和感だ。なんだろう?何かがおかしい。その違和感の正体はすぐに判明した。ミノリの顔に当たる光の加減からすると、ミノリの顔右半分のシルエットが暗く落ち過ぎているのだ。

・・・これは、まさか。僕は急いでカーテンを全開にした。

まだ眠りこけているアキコやナツモの顔に眩しそうな光がダイレクトに当たったが、気にしている場合ではなかった。

完全に朝陽を浴びて浮かび上がったミノリの顔右半分が、無数の赤紫の斑点で覆われていた。

「うわっ!」

「・・・ん。どうしたの?」

思わず出した僕の声に、アキコが目を覚ます。

「むにーが大変なことになってるよ。たぶん、蚊に刺されたんだ」

昨晩、ビーチサイドのレストランで飲んだくれていた時、ミノリはプールサイドにほど近いソファに転がされて眠っていた。レモングラス由来の蚊避けで結界を張ったつもりでいたが、それでは不十分だったのだろう。

それにしても、昨夜は全く気がつかなかったが、一体何箇所刺されているというのだろう。僕は、ひとつ、ふたつ、と刺された箇所を数え始めたが、15を越した所で面倒くさくなってやめてしまった。ほっぺたはもちろん、耳の中や瞼まで刺されて、今やミノリは四谷怪談を地で行くビジュアルである。

ここまで刺されたら痒くて仕方がないのではないかとも思うのだが、痒さはそれほど感じないのか、特にむずかる事もなく、それどころか皆に覗き込まれたミノリはうっすら微笑んでさえいる。これはもしかしたら普通の蚊とは違う虫の仕業かもしれない。実際、僕やナツモも昨日蚊に刺された自覚はあるものの、ここまで酷い痕は残っていない。

それとも、一才未満のミノリの肌がそれだけデリケートと言う事なのだろうか?

アキコと二人でミノリを捏ねくり回していると、いつのまにか起きて来たナツモが「むにーさされちゃったねー」と嬉しそうに声を上げている。

僕はそんな状態で独りこの場を離れる事に若干の後ろめたさを感じたが、やはり波の誘惑には勝てなかった。

昨日よりも2時間早く到着したビーチは、せいぜい「コシビーチ」だった。それでも、昨日より随分マシだ。何しろ、サーファーがしっかりテイクオフしているのだから。急げ。猶予はハイタイドまでの2時間しかない。

僕はカバンをビーチに放り出すと準備運動もそこそこにパドルアウトした。こんな波でがっついているのは僕だけである。その甲斐あってか、2本だけ、アクションが入った。この波でリッピングできたのだから、きっともう満足するべきなのだろう。

そんな僕の心を見透かすかのように、海はハイタイドを迎え、僕の元にはもう二度と、ウネリは入って来なかった。

まあいい。どうせ早い所宿へ戻ってパッキングをしなければならないのだ。あまり帰るのが遅くなると、チビ二人のせいで荷造りが進まないアキコを怒らせる羽目になる。

それにしても、過去を振り返ってみても、国内外問わず出向いた十数回のサーフトリップの中で波を当てたと言えるのは2回だけである。アキコの声が頭の中でリフレインする。

「おとうちゃんは、波を鎮める神様だね」・・・

−−

ビジットに戻ると、アキコが意外そうな顔をして僕を出迎えた。

「あれ?随分早かったね」

僕は昼には戻ると告げた。そして、海上にいる防水ウォッチをはめたサーファーに時間を尋ねて、ギリギリだと思って戻って来たのだ。

ところが、宿で時計を見ると、まだ10時半を回ったところだった。どう見ても1時間早い。さては、あの日本人サーファーの時計、時差が修正されていなかったか。

いずれにせよ、あと一時間粘った所で潮は動かない。解ってはいるのだが、あと1時間できたハズだという、少し損をした気分を振り払うべく、僕はパッキングに精を出すのだった。

−−

ビジットをチェックアウトした後は、再びエヴァソンへ出向き、フロントに荷物を預けて、K家とともにプールサイドに陣取りゆったり午後の時間を過ごす。

フライトは夜の10時だから、まだたっぷりと時間はある。今日は休肝日にしておこうと思っていたが、雨季とは思えない陽射しが「飲んでおけ」とばかりに照りつけて来るのでは致し方ない。

ナツモは昨日に引き続き、水に対する自信を深めていく。

エヴァソンのファミリープールには、それは立派なウォータースライダーがある。アキコがこのスライダーにミノリを抱えて挑み、コントロールを失ってミノリが水没した時はかなり焦った。僕自身も、コントロールを失って腰をしたたかぶつけ、その衝撃で剥げたスライダーのペンキが海パンに付着した。それぐらい、大人にとってもスリルのあるスライダーである。そのスライダーに、ナツモが躊躇することなく身を投じている。

今まで、どんなに緩やかなウォータースライダーだって勢いよく滑り降りることなどできなかったナツモが、である。その変貌ぶりは、言うなれば、昨日までテイクオフすら覚束なかったヤツが、いきなりパイプラインのバレルにチャージするようなものだ。

相変わらず、ナツモが滑る度にカツミさんやサトコさんが絶賛してくれるのだから、ナツモはさぞかし気持ちが良かっただろう。

ナツモは褒められて伸びるタイプなのは間違いないが、どうしても僕ら両親の言葉だけでは食傷気味になる。家族以外からの絶賛はナツモにとって新鮮で、刺激的だったに違いない。そう言った観点からも、今回の旅は最高に充実していた。

プーケットは素晴らしいリゾートだが、もしも自分たちだけで過ごしていたら、意外とダラダラと過ごしてしまっていただろうし、ナツモのこんな進歩も見られなかっただろう。

それに、何をしていた訳ではないけれど、K家がいたからこそ、全ての時間にハリができたし、運悪く同じ宿が取れなかったけれども、そのおかげで期せずして、プライベートは確保しつつ、ふたつの五つ星リゾートを同時に味わえた。同じエリアで違う宿。これは、友達家族同士で旅行する場合の、気を使い過ぎることなく楽しむベストウェイかも知れない。

−−

夕方、充足した気持ちでK家の部屋のシャワーを借り、最後にルームサービスのタイ料理をバルコニーからの絶景と共に味わい、この旅が終わろうとしている。早々に食事を終えたタクマとナツモが、部屋に入って二人で遊んでいる。

そろそろ空港へ向かう時間となり、荷物をまとめに部屋へ入ると、二人の会話が耳に飛び込んで来た。

「・・・こーんなになっちゃったらどうする?」

タクマが腕を目一杯広げる。何のことについてなのかは分からない。

「ひひひひ、テンだよ、それ」

とナツモ。おそらくタクマの指の数の事だろう。

「じゃあ、こーんなになっちゃったら?」

タクマが腕をぐるっと回す。

「ひひひひ、てんじょうついちゃうよ、そんなになったら」

「ふふふ」

何が面白いのか、聞いている限りでは理解できないし、恐らく二人の会話も噛み合っていない。その証拠に、ナツモが

「じゃあ、じゅうごになっちゃったら、どうする?」

と質問を返したところで、タクマはそれには答えず立ち上がり、ミニカーで遊ぶためにナツモを置き去りにした。

しかし、こんなに二人が面と向き合って楽しそうに話すのを見るのは、この4年の付き合いの中で初めてだった。

「ねーねー、どうするー?じゅうごになったら。こんなだよー」

置き去りにされたにも関わらず、嬉しそうにタクマを追いかけていくナツモを見ながら、妙な感慨に耽る。

帰りにエヴァソンでブックしたタクシーは空港まで1150バーツ、つまり行きのメータータクシーのほぼ倍額だったが、文句はなかった。そう思えるだけ、最高の旅だった。

ナツモは、あれだけタクマと親密になっていたのだから、帰る時には寂しくなって、下手したら「かえりたくない!」と泣くだろうと思っていたが、意外にも「さ、いこっかー」と自らリュックを背負った。

先ほどまでの熱烈ぶりがウソのように、アッサリしたものである。この歳にして、既にミステリアスな女の振る舞いを身につけたというのか。

いや、実際は、ただ単に眠かっただけのようだ。

タクシーが発車して5分、ナツモはスイッチが切れたように深い眠りに落ちた。この三日、あれだけ精力的に活動したのだから無理もない。ミノリも既にアキコの胸に抱かれて熟睡している。

プーケット空港に21時。絵に描いたようなオカマ職員に荷物のセキュリティチェックを受け、一社だけ蔑ろにされたとしか思えないほど遠いジェットスターのチェックインカウンターでサーフボードのみを預けると、アキコと僕は、二つと、二人の手荷物を抱えて飛行機に乗り込んだ。

コップンカー、K家。コップンカー、プーケット。
またいつか、サワディカ。  

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