【227日目】波に恋慕のレンボンガン


October 25 2011, 4:16 AM by gowagowagorio

9月14日(水)

「・・・もう、ルールが守れないんだったら、二度と飛行機には乗せないからな!」

「なーんーで!」

シートベルトサインは既に点灯している。しかしナツモは椅子に立ち上がる。今だけではない。たった2時間のフライトが我慢できず、離陸直後から一瞬たりともじっとしないナツモに、のっけから楽しい旅の気分を害され、僕は必要以上に声を荒げた。

ナツモにしてみれば、退屈な時間なのは分る。今回のフライトもバジェットエアだから、テレビやジュースは付いていない。それにしてもナツモの辛抱のなさは度が過ぎる。

シートベルトは締めない、前のシートを蹴る、菓子やペンを床に落とす。そのすべての行動に不快な癇癪声が付いてくる。

飛行機が空いていたのは幸いだった。満席だったら僕もナツモも耐えきれなかったに違いない。

「なにもそこまで怒らなくてもいいんじゃない?」

ミノリを抱いたアキコが、苛立つ僕を見兼ねて諌めた。

「アッコは休みの時しかナツモを見てないからそう言う事が言えるんだよ」

僕は咄嗟に、一昔前のホームドラマに出てくる、疲れた主婦が夫に向かって言うような台詞をアキコにぶつけていた。

そうなのだ。日々のナツモとの小競り合いの積み重ねが、二人の神経をすり減らせているに違いない。花粉症みたいなものである。体内で小競り合いが限度量を超えてしまったから、ちょっとした事でお互い過敏に反応してしまう。

ともかく後15分で、我々の心を癒してくれるはずのバリへ降りる事ができる。

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今回の旅行は、なかなかの大グループである。我々がデンパサールに降りて待つ事15分、これから一週間を共にする仲間達が到着した。

まず、この旅をオーガナイズしたルボ、レジン、ナターリアの家族。レジンは元アキコの同僚で、ショートカットが活発なイメージを醸し出しているスイス人。その夫のルボは、背の高いケリー・スレーターといった印象の容姿端麗なスロバキア人。ナターリアは1歳になったばかりの二人の娘、二人の特徴が程よくミックスされた大人しい子である。

もう一組の家族は、キース、マーレーン、ミア。この上なく優しい母親という印象のマーレーンは、レジンの従姉妹のスイス人。夫のキースは声が渋いアメリカ人、ミアはフレームが父親、目が母親に良く似た、まもなく2歳の二人の娘だ。

ここにもう一人、メルボルンから単独でやって来たアキコの元同僚、美人だが言動がコミカルなメリーアンが加わり、総勢11人、今回のパーティが組み上がった。

今回の目的地、レンボンガンへは、空港から40分ほど走った東海岸のサヌールからボートで渡る。

海を見ると、否が応でも心が躍りだす。聞く所によるとレンボンガンの波はクオリティがかなり高いらしい。僕がこの半年間、黙々とプールでパドルを続けて来たのは、この旅のためと言っても過言ではない。

しかし、今回の旅行ではサーファーは僕ただ一人、後のメンバーは主にダイビングが目的である。それに、3人の赤ん坊と一人の小鬼みたいな子供が一緒だから、そうそう自由に波乗りはできないだろう。

それでも僕はまだ見ぬリーフのポイントに思いを馳せながらスピードボートに乗り込んだ。

うねりを超えるたびに大きく跳ねるスピードボートに最初は狂喜乱舞していたナツモだが、10分もすると急に大人しくなり、その眉尻はどんどん下がって行った。船酔いだろう。ナツモを横にならせて頭を僕の膝の上に乗せる。

スピードボートとは言え、レンボンガンまでは30分ほどかかる。これは限界かもな、ビニール袋はないかと船内に視線を走らせはじめた頃、ボートが急にスピードを落とした。

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レンボンガンは想像以上に小さく、おもちゃ箱のような島だった。

ラグーンには大小無数のプリミティブなボートが繋ぎ止められている。そして、ビーチは隙間なくビッシリとヴィラやコテージで埋め尽くされている。海に面したそれらのヴィラは、遠目から見ても居心地が良さそうだ。

ボートが接岸してすぐに、ボート会社の送迎サービスなのだろう、今にもエンジンが止まりそうなオンボロ軽トラの荷台に11人は押込められ、我々が宿泊するヴィラへと向かう。

ビーチから一本入った狭い道の周囲はビーチ沿いの雰囲気とはまったく異なり、ローカルの住居がひしめき、寺院と、小さな商店がある以外は本当に何もない。この島がビーチの観光で成り立っていることは明らかである。

ルボがインターネットで見つけたというヴィラ、インディアナ・ケナンガは、島の北側、シップレックというサーフポイントのまさに目の前に建っていて、なおかつ他のどのヴィラよりも洗練されているように見えた。

ビーチに面したヴィラのレストランからポイントが見える。僕にとっては有り難い立地ではあるのだが、ブレイクポイントまでは一体どれほどの距離があるのか。目測でも軽く400mはありそうだ。

目を凝らすと、確かにサーファーが波待ちしているのが見えるが、今日はもしかしたら波のサイズが小さいのかも知れない。この距離を考慮しても、時折入るセットが頭以上あるようには見えなかった。

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我々家族とルボのファミリーは、300平米はあろうかという広大な敷地を持ったプールヴィラのベッドルームをシェアして使う事になった。

他のメンバーも各々の部屋に荷物を置いて我々のプールヴィラに集合し、早速ビンタンビールをあおる。子供達は皆、水着に着替えてプールを満喫する。

ナツモは相変わらず自分が泳げる事を周りにアピールしたがったが、一番驚きだったのは、ミアである。ミアはまだ泳げないのにも拘らず、まったく水を恐れる事なく自ら水中へ豪快にダイブし、キースに助けあげられると、顔に付いた水を拭く事もなく、特大の笑顔を浮かべる。さすが、ダイバー夫婦の娘、ナチュラル・ボーン・ダイバーなのだろう。

−−

レンボンガンのヴィラやコテージは軒並み、ビーチに面した一番良い場所にレストランを構えている。この地へリゾートに訪れた観光客は、何処に宿泊しているかに関わらず、食事時になるとビーチを行き交って、その日のレストランを決めるのがレンボンガン・スタイルのようである。

汐が引き、リーフや海藻を養殖している棚がむき出しになった海を眺めながら、我々はレストランを物色し、最終的にインディアナ・ケナンガから3軒ほど下ったレストランを初日の晩餐会場に選んだ。

カレーやサテーなどをつまみつつ、ここでもビンタンをあおる。料理自体は悪くはないが特別旨い訳でもない。この雰囲気がそれを許しているといった感じである。

腹を満たした所でインディアナ・ケナンガに戻り、ビーチフロントの特等席に設えられた、11人全員がそこに収まれるという巨大なカウチに陣取った。

子供達は思い思いに動き回り、大人達はダラダラと飲む、心も身体もほどけっぱなしのビンタンタイムである。

さて夜も更け、子供達が眠くなったため、パーティの会場はプールヴィラのリビングに移された。

そろそろミノリにミルクを作ろうと、僕はキッチンに置いてあったポットに水を注ぎ、そこにあったコンロに点火してポットを置いた。

果たしてビンタンを飲み過ぎたのだろうか。その時、僕はポットの形状をもっとよく見るべきだったのだ。

漂う異臭に気がついたのは、そろそろお湯が沸く頃だなと思った時だった。

・・・これは、ゴムが融ける臭いだ。

プールヴィラのだだっ広いリビングには、長い夜を引き続き楽しもうと、ミアを既に寝かしつけたマーレーン、そしてメリーアンが居た。僕が自分の犯した信じられないミスに気がつくと同時に、彼女達も異臭に気がついてキッチンに歩み寄って来た。

「何があったの?」

眉をひそめるメリーアンの視線の先には、

本来、ティファール的なIHの台に置かれるべきだった無惨な姿の電気ポットを呆然と掲げている僕がいた。

「いや、その、これは電気ポットだったんだけど、火にかけちゃったんだ」

僕は狼狽えて、どういう訳か、そのポットを今更ながらIHの台に置いた。大丈夫だ、と思われたかったのかも知れない。しかし、メリーアンがすかさずポットに歩み寄り、それを静かに持ち上げた。

「アリオ、これはもう使えないわ。ほら見て、ここ。融けちゃってる」

メリーアンは、まるで子供に言い聞かせるようにゆっくりと話し、そして優しく首を横に振った。僕の英語が未熟な事を考慮してくれているのだろう。

でも、僕だってポットがもう使えないのは分かっている。

「私がスタッフに代わりのポットがないか聞いてあげようか?」

「ああ、そうだね・・・」

僕は実に間抜けな受け答えしかできていない。そこへマーレーンが助け舟を出す。

「ミルクを作るのにお湯がいるんでしょ?私がレストランで取ってくるわ」

僕は自分で行くよとは言えずに、「イエス、サンキュー」と答えるのが精一杯だった。

ああ、きっと今の僕は、何もできない使えないヤツにしか見えないだろう。

数分後、メリーアンが代わりのポットを、マーレーンがお湯と冷たい水を、ほぼ同時に持って戻って来た。ポットに水を注ぐメリーアンにマーレーンが声をかける。

「それは時間がかかりすぎるわ。ムニーは大分お腹が空いてるみたいだから」

何から何まで世話してもらっておいて何だが、この場合、確かにありがたいのはお湯と氷水だ。より素早くミルクを適温で用意できる。さすがマーレーン、母親ならではの機転である。

マーレーンの言う通り、大声で泣き始めていたミノリを僕が抱いていたからなのか、メリーアンが「私がミルク作ろうか?」と声をかけてきた。

自分の犯したミスのせいか、未熟な英語のせいか、気後れしてノーサンクスと言えない僕は、すべてお言葉に甘えてしまう。

「まず、手を洗うわね」

律儀なメリーアンはキッチンで手を洗い、その後マーレーンの持って来たお湯を使って180mlのミルクを作る。

「お湯はどのぐらい?」

「えーと、120ぐらいかな」

「OK、後は水ね」

「イエス・・・ありがとう」

まったく、ミノリを抱いた僕自身が、マーレーンにおんぶ、メリーアンに抱っこされている気分である。

−−

早朝からの移動と英会話の緊張感から、僕は心身ともに疲れていた。ただし、心地のよい疲れである。

大人達はまだまだリビングで談笑を続けていたが、僕はナツモやミノリを寝かしつけながら、いつのまにか自分も深い眠りへと引きずり込まれていった。

明日はいよいよ待ち焦がれた波とご対面である。

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