【226日目】イライラ、ニラニラ


October 20 2011, 7:42 PM by gowagowagorio

9月13日(火)

「さ!よういしよっか!」

学校から帰宅するなり、ナツモが朗らかに叫んだ。

明日から遅めの夏休みと言うことで、家族でバリのレンボガンへ行く事になっている。ナツモは自分の荷造りをしておくよう、アキコから申し付けられたようである。

早めの準備を心がけるとは、両親とは違ってなかなか見所のあるヤツだ。しかしながら、ナツモが自分の荷造りを完璧にこなせるとは到底思えない僕は、それとなく聞いてみる。

「もっちゃん、バリに何持ってくか、わかる?」

「しってるよ!」

「じゃあ、何?」

「んー、・・・ごりお!」

「・・・まあ、連れてってもいいけどね、その前にもっと必要なものがあるでしょ?」

「ん?」

「バリには海があるから?」

「しってるよ!・・・うきわ!」

「そうだね、それもあるけど、他にもあるよ」

「んー、ぼーど!・・・と、うきわ!・・・と、すいちょうめがね!」

「そうだね、それもいるね、でも、それより前に着るものがあるでしょ」

「みずぎ!」

「そうそう」

その時、スカイプにサーフショップオーナーのY氏から入電があった。恐らく今依頼されているコピーの件だろう。いつもはメールでのやり取りのみなのに、わざわざスカイプを入れてくると言う事は、緊急な用件に違いない。

応答すると、画面にはY氏と、店長のK君が映った。家族以外の人間とスカイプをするのは少し照れがある。普段は馬鹿話しかしない彼らと仕事の話をするのも然りだ。

用件は僕の予想通りだった。明日から僕がバリに行ってしまうので、その前に打ち合わせておきたい事があると言う。スカイプは俄にテレカンの様相を呈して来た。

荷造りに水を差された形のナツモは、待ちくたびれて僕の足元で寝てしまった。

−−

普通、昼寝の後は眠気が取れてスッキリと機嫌が良くなるものではないのか。今日のナツモは、真逆である。

17時半頃、むくりと起きて来たナツモは、「おなかすいた!」と癇癪を起こし始めた。今日の夕食がハニーチキンだという事実が、ナツモの癇癪を加速させる。

「はーやーく!ごはんたべたい!」

不快な金切り声がリビングを切り裂く。

これなら昼寝の前の方がよっぽど可愛かったではないか。

「まだ早いよ。6時まで待って」

「イヤだ!はーやーくー!」

ナツモがそうなると、必ずと言っていいほど、ミノリがシンクロして同じような奇声を上げ始めるから始末が悪い。

ナツモとミノリの耳を塞ぎたくなる絶叫を30分近く浴びせられ続け、僕は少々ムシの居所が悪くなった。

今日のハニーチキンは5本しかなかった。各人への配分は、ナツモ2、僕2、アキコが1だ。その妥当な配分に、最初はナツモも納得していたはずだ。ところがいざ食べ始めると、あっという間に二本を平らげたナツモが

「・・・もういっぽんたべたい」

とか細い声で訴えて来た。しかし僕だって2本食べたい。

「・・・ダメだよ、約束したろ?2本だけって」

「だって、たべたいのー!」

ナツモはあまりにも自分の欲望をむき出し過ぎる。満たされなければ、約束など関係ないのだ。コイツは約束の重みなど全く理解していない。これは今のうちになんとかしないと自分が苦労するだろうな。

僕は、思うところあって、ナツモに新たな約束を結ばせた。

「よし、わかった。そこまで言うなら、おとうちゃんのハニーチキンを一本あげる。その代わり、この野菜を食べな」

僕が指差したのは、ナツモが食べた事がない、ニラ玉のニラである。

「うん、いいよ」

ナツモは二つ返事だ。恐らく、ハニーチキン欲しさの安請け合いに違いない。しかし、今日の僕は心を鬼にしようと誓った。僕から譲り受けたハニーチキンをあっという間に骨にするのを見届け、僕はおもむろにニラを指差した。

「ほれ。約束」

最初の1、2本こそ、ご機嫌でニラを口にしていたナツモの動きが止まった。予想通りだ。眉が八の字になっている。

「おい、言っとくけど、もしそのニラ全部食べられなかったら、もっちゃんはバリに行かないからな」

「・・・わかってるよ」

いつもと違う僕の雰囲気を敏感に察したのか、ナツモはいつものように「なんで!」とは言わなかった。

しかし、そこまでだ。

ストレートな我が儘こそ口にしないが、ナツモは「おしっこ」と言っては立ち上がり、トイレから戻れば「おちゃ」と言って冷蔵庫を開けに行く。牛歩戦術でニラを食べずに済まそうとしているのは見え見えだ。

それは僕だって、もういいや、と言って許してしまいたい。その方がよっぽど楽なのだから。しかし今日は絶対に約束を守らせると決めたのだ。

僕が覚悟を決めた時に、タイミング悪くアキコから電話が入った。これ幸いとばかりにナツモが子機を取りに走る。

「おいっ!」

背後から声をかけても立ち止まるはずがない。

明日から休みを取るアキコは、その前日ということもあり、特別に忙しい。だから今日は帰宅が遅くなる旨の連絡である。

状況が状況だけに、少しでもアキコの作業が早く進められるよう、長電話は避けたいところだが、まず最初に電話に出たナツモはいたずらに会話を引っ張る。そして、受話器を一旦僕に預けたにも拘らず、僕が「それじゃ」と電話を切ると「もっとはなしたかったのー!」と、食事とはまた別の癇癪を起こし始める。

ニラの件もあり、僕の苛立ちはピークに達している。

「うるさい!早く食べろ!」

頭に血が昇っている僕を完全に無視して、ナツモは子機を手にして再びアキコのケータイへかけはじめた。

「おい!フザケンナ!電話するな!」

と怒りながらも感心したのは、8桁の番号をナツモがもう完全に記憶している事だった。

しかし、子機を握りしめたナツモがいつまで経ってもしゃべり始めないため、僕はそれを留守電だと思った。

「もうマミーは仕事してるからつながんないよ、早く食べろ!」

僕が声を荒げると、ナツモはムキになって反論して来た。

「ちゃんとつながってるもん!」

「かしてみ!」

僕はナツモから子機をひったくると、耳に押し当てた。そこから流れてくるのは空気のノイズだけだ。恐らく留守電のメッセージを吹き込むパートだろう。

僕は問答無用で電話を切ると、もう一度ナツモを怒鳴った。

「だいたいオマエな、ニラ全然食べないってのは、どういう事だよ・・・」

言いかけた時に、呼び出し音が鳴った。気勢をそがれて舌打ちしながら通話ボタンを押す。アキコからのコールバックである。

「今、電話した?」

「・・・したよ。ナツモが」

「いきなり切れたよ」

「・・・ああ、オレが切ったからね。キレて」

ナツモが主張するように、アキコは本当に電話に出ていたのだ。曰く、アキコは相手が無言だったため、これはナツモだと判っていたようだ。

「もっちゃん、きこえるー?」と呼びかけると、ナツモは僕に届かないような囁き声で「ウン、きこえるよ」と応答したそうだ。

囁き声だったのは、僕が電話するなと怒っていたからだろう。そして、僕は頭に血が昇っていたから、ナツモが囁いている所などすっかり見落としていた訳だ。

なんだかバツが悪くなり、僕は子機を無造作にナツモへ渡した。ナツモは二言三言アキコと話すと、「わかった、じゃーねー」と満足気に電話を切った。

結局ナツモは、ニラを巡って僕と1時間も押し問答を続けていたが、ニラを細かく切ってやると、一口ごとにお茶で流し込み、ようやく完食が見えて来た。ナツモはニラを食べる際に嘔吐いてしまうほど、ニラが嫌いだったようだ。

「もっちゃんがその野菜が凄く嫌いなのはわかったよ。でも、今日は絶対に食べなきゃいけないんだ。だって自分で食べるって言ったんだからな。それでハニーチキンもらったんだろ?約束ってのはそれぐらい重いんだぞ。もしニラが食べられないなら、安請け合いすんな」

涙目になりながら最後のニラを口に押し込むナツモに、優しく言い含める。しかし僕は、約束を守らせたという達成感よりも、一番大切な部分を伝えるための手段が「ニラ玉」になっているという間抜けさに今更ながら何とも言えない脱力感を覚えるのだった。

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