【223日目】R4
October 18 2011, 5:45 AM by gowagowagorio
9月10日(土)
「ぷーるいくー」
ナツモは本当に、起き抜けに宣言した。だから、朝食を済ませた後、公約通り、家族全員でプールへ向かった。
しかし、今朝は空がどんより曇っていて水が冷たい。これならまだ、昨日の昼間のほうが温かかっただろう。ここのところ、毎日天気がすっきりとしない。気温も30℃を下回る事が多い。シンガポールでも、ほんの僅かながら季節の移り変わりを感じる。その僅かな変化に敏感になっている。
これからシンガポールは雨期である。
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ナツモは久しぶりに、進化した自分の泳ぎをアキコに見せる事ができて、満足そうである。
その横で、浮き輪に入れて浮かべられていたミノリは、アキコと僕がほったらかしにしている隙に、プールの水を飲もうと試みたらしく、浮き輪が傾き、顔全体が水没して焦っている。ミノリからしたら、ニカウさんが初めて海を見た時のように、プールが宝の山に見えたのだろう。
あれほど熱望していたプールだったが、如何せん寒すぎた。ナツモは30分もしないうちに「さむいさむい」と震えだし、あえなくギブアップである。
それが悔しかったのだろうか、ナツモはキックボクシングの練習が終わると「かえる。ぷーるいく」と宣言した。
いつもならアキコのタヒチアンダンスが終わるのを待つところである。ナツモがこんなに一つの事にのめり込むのは珍しいから、僕としてはなるべくその気持ちに応えたい。
しかし、天気の方が応えてくれない。空はますます暗さを増し、今にも雨が降り出しそうである。加えて風も強く吹き出して、むしろ朝より寒くなっている。二人して勢いで水着に着替えてプールへ飛び込んだはいいが、本日二度目のチャレンジも10分足らずであえなく退散となった。
僅か10分で冷えてしまった身体を温めるべく湯船にお湯を溜めていると、一緒に入っていたミノリが、目を離した隙に、ナツモの、アリエルが描かれたシャンプーボトルをくわえている。よく見ると蓋が閉まっていない。
「おいおいおいおい!だめだめだめ!何食べてんの!」
僕がシャンプーボトルをむしりとると、ミノリはさすがに不味かったのか、口を半開きにしたまま固まっている。
僕は急いでうがいをさせようと、湯船のお湯をすくってミノリの口へ押し込む。しかしもちろんミノリはうがいなどできる訳がないから、僕が押し込んだお湯をいくらか飲み込み、そして、口をすぼめて「ぶーぶー」と不味いシャンプーを吐き出そうと試み始めた。
口の中でシャンプーとお湯がちょうど良い加減でブレンドされたのだろう、ミノリが「ぶーぶー」言うたびに、その口からはブクブクと見事な泡が生成されて飛び出してくる。
「わあ、むにー、カニみたいだな」
「どれどれー?」
シャンプーの誤飲は確実に身体に悪そうだが、ミノリが泡を吹く姿があまりにも滑稽なため、その緊張感は皆無である。
というより、これまでの誤飲誤食の実績からすると、シャンプーごとき平気だろう、という気になってしまうから困ったものである。
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夕食は、シンガポールにおける高級焼肉店、「牛角」である。
いつものようにUEスクウェア店ではなく、今日はチャイムス店へ向かう。そこでM家と待ち合わせているのだ。M家の奥さんは、アキコの同僚である。アキコと同じタイミングで、奥さんのシンガポール赴任が決まり、家族全員で移住した。
旦那さんは、日本で勤めていた会社を辞めて来たという、朴訥としていながら思い切った人物だ。そして、夫婦して東大卒だと言うから恐れ入る。1歳半の娘・メイちゃんを抱えつつ、メイドを雇っていないM家において、日々の家事をこなしている旦那さんは真の主夫である。インチキ育休中の僕は、ただただ頭が下がる思いだ。
普通、焼肉と言えば、バラエティ豊かな肉を順番に味わって行くのが醍醐味なのではないだろうかと思うのだが、M家は塩カルビのみを大量に頼み、それだけをマイペースで食べ続けていく。追加オーダーもやはり塩カルビのみだ。
「うちの子はこれしか食べないから。いろいろ試したけど、これが一番美味しくてコストパフォーマンスが良いっていう結論に達したのよね。野菜とか頼んでも絶対無駄にするからさ」
と言う奥さんはかなりさばけた性格で、それが喋り方にもよく出ている。確かに、塩カルビはかなり美味しく、ミノリもモリモリ食べている。
ナツモはと言えば、短い時間とは言え、一日二回の水泳で疲れていたのか、せっかくの肉にほとんど箸をつけずに、今にも寝そうである。
「でもさ、おたくはすごいよねー、離ればなれで暮らしてたのに、ちゃんと二人目できてるもんねー。ウチも欲しいんだけどさ」
「作ればいいじゃん」
「そうなんだけどねー、横にこの子が一緒に寝てるじゃない?気になるじゃん。起きちゃうし。おたくはどうしたの?」
「ウチはもう、横にぽいっ、てどかして・・・」
・・・少々さばけ過ぎな感のある会話を、夫二人は俯き、黙って肉を咀嚼しながら聞く。
0歳児や1歳児はともかく、こんな話を好奇心の塊のような4歳児に聞かせてもいいものだろうかと思ったが、幸いナツモは既にベンチシートで寝息を立てていた。
まったく、オンナは恐ろしい。