Nascita (三女の場合)
「池さんの旦那さま、どうぞこちらへ!」
その瞬間に、僕は初めて立ち会っていなかった。つまり、部屋の外で3人目の我が子の誕生を待っていたのである。
2015年1月30日(金)午後3時26分。
産声を上げたのは、2322gの元気な(と言えてホッとしているわけだけれど)女の子。僕がその瞬間に立ち会えなかったのは、帝王切開だったから。
本来なら、無痛分娩の予定だった。
妻は、次女出産時に体験した無痛分娩のあまりの無痛ぶりに味をしめて、今回も最初から無痛分娩と決めていた。ナチュラルな予定日は3月3日。無痛分娩ということで定めた出産予定日は、2月20日。
…アレ?今日ってまだ1月だよね?
そんな事の顛末をこれから記そうと思う。過去、2人の娘の誕生を日記にしたためてしまったが故に今回も書かざるを得ないのである。
これが最後・・・だと今のところは思っている。
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その日は朝から都内でも初雪が本格的に降り続いていた。
ミミオ(ナチュラルな予定日が3月3日ゆえの呼称)の骨盤位、つまり平たく言えば逆子が発覚して早3週間。その間妻は真剣に・・・いや、それなりに、・・・いや、かなり適当に逆子体操に取り組んでいたのだが芳しい成果は見られなかった(本人曰く「逆子のまま→帝王切開→保険適用!→ +自治体の助成金!→儲かる!チャリーン!」 という思考回路が邪魔をして、どうしても真剣に取り組めなかったということである)。
担当医的にも36週から37週の間には回ってもらわねば困るということで、この日は「外回転術」なる、ハンドパワーで外側から胎児を無理矢理回転させるという、マリックも真っ青の最終手段的な施術を受ける予定でいた。
僕は良き夫を演じるため・・・もとい、妻と胎児に対する溢れんばかりの愛情ゆえに、付き添う必要はないとは言われていたものの、事の成り行きを最後まで見届けることにし、妻とともにタクシーで産婦人病院へと向かった。
妻の説明によると、その外回転術とやらは下半身への麻酔を要するものの、施術自体は始まってしまえばものの2、3分で終了する、成功率は7割程度はあるということだったので、その時点で僕はほとんど心配もせず、昼前には出社するつもりでいた。
今日の昼メシはお気に入りのイタリアンでピザ!イタリアマンマ(塩豚とジャガイモの家庭的ピザ)にしよう!と決めていたぐらいだ。
病院に到着したのは8時45分頃。妻は診察台に上がり、すぐさま担当医である通称タコ入道(名医です)の最終チェックを受ける。
「うーん、やっぱりダメですね」
昨夜行った、最後の逆子体操の健闘も空しく(妻の脳裏には前述の邪念が多分にあったと思われる)、やはりミミオの骨盤位は改善していなかった。
タコ入道(名医です)は、それを確認する否や「やりましょう」と立ち上がり、やおらデスクから書類をガサガサと取り出した。
彼が手にした書類は「同意書」である。外回転術の説明とともに、「万が一不都合が起きた場合、緊急の処置を施すこと」に対して本人および家族が同意を示すものであり、「万が一の緊急処置」の一つに「帝王切開」が含まれていた。
その一文には目もくれず、僕が同意書にサインした時にはまだ、「ああ早くピザ食いてーなー」と呑気な事しか考えていなかったのである。
******
S山産婦人科の病室は恐ろしく綺麗だった。しかも贅沢な個室。
外回転術は下半身麻酔を施すため、晶子は一晩入院する必要がある。まずはその部屋へ通されたのである。
そもそもこの産院に決めたのは、無痛分娩ができる数少ない産院だからなのだが、「病室が綺麗!メシが旨い!」というのも妻の中では大きなポイントだった。
その期待に大いに応えられる病室である。これは食事もさぞかしイケてるに違いない。なんでも、この産婦人科をググって画像検索すると、豪勢な食事の写真ばかりが並ぶという。
確かに、さっき通ったお食事ワゴンに乗ってた食器も、相当お洒落だったもんな。
そんな想いを胸にガウンに着替える妻。病室のソファに腰を落ち着け、それを見守りながら昼メシのピザに想いを馳せる僕。穏やかな朝だった。
ソファの横にある窓から外へ目を向けると、勢いを増した雪が、一面を純白の世界に染め始めていた。
「それじゃ、池さん行きましょうか」
ほどなくして、看護師が声をかけにきた。
「もう、このまま?」
「はい、今からまずお背中から麻酔を入れまして、効いてくるまで30分ぐらいかかりますけど麻酔が効いたらすぐに」
「わかりました。それじゃ、がんばって」
僕は、実にライトに妻を送り出した。
今9時半か。麻酔で30分、そっから外回転術がまあ10分として、その後部屋に戻って来て医師の説明を聞いたりしたとしても1時間半後には病院を出られるだろう。僕はソファに腰を落ち着けたまま、iPhoneをいじり、それに飽きると今度はiPadをいじり、それにも飽きるとノートにラクガキを始めた。
病室の壁にかかったテレビからは、普段観る事のない午前中のワイドショーの声が聞こえて来る。なんでも島耕作の作者が「イクメンは出世しない」と発言したとかで、それをめぐってタレントたちがどうでもよい議論を展開している。一つだけ確かなのは、この作者のイクメンの定義付けは、世間の感覚から完全にズレてしまっているなということだった。「子供の誕生日のために仕事を放り出して家に帰る男」は別にイクメンではないよな。
ふと時計を見ると11時を過ぎていた。
あれ?予定ではもうピザ屋に向かって・・・いや、会社に向かっている時間なはず。まあ、施術が2、3分で終わるというのは大げさ過ぎか。多少時間がかかるってことはあるわな。
あれだけ逆子体操に耐え抜いたミミオである。百戦錬磨の先生の手だって煩わすことは充分に考えられる。
この時点でもまだ、僕は外回転術の成功をこれっぽっちも疑ってはいなかった。
しかし、妻は帰って来ないのである。時計はとうとう12時を回った。
まあいいか、ピザを食べに行く頃にはちょうどピークタイムから外れて、ゆっくりできるな・・・
12時半。
もうピザじゃなくてもいいから何か食べたい・・・
13時。
・・・これって、もしかして・・・
ようやくそう思い始めると同時に、病室のドアが開いた。
看護師が入ってきた、その顔を見た瞬間なんとなく外回転術が失敗だったことを悟った。が、形式上、聞く。
「どうでした?」
「だめだったんです・・・」
ベテラン看護師は絶妙に申し訳なさそうな顔を作りつつ、続けて言った。
「まもなく、先生から詳しいお話がありますから。奥様はまだ、麻酔が効いているんで下のお部屋で休んでますけど、旦那さまに会いたいとのことなので行きましょう」
詳しい話?ああ、そうか、タコ入道(名医です)的にはハンドパワーが発揮できなかった理由をきっちり弁明しておかないとプライドが許さないだろうからな。
まあ、逆子のままだと無痛分娩はできずに帝王切開になるけど、まだあと3週間あるし。明日からまた逆子体操に励めば直るかもしれないし。妻に今度こそ邪念を振り払って勤しめよと伝えよう。それより今すぐ病院を出ればまだピザ食えるな。確か14時半までに入店すれば。
そんなことを考えながら、僕は看護師に案内されて妻が寝ている部屋へ入った。
「ダメだったんだってね」
「うん」
「しょうがないね」
「そうだねー」
「また逆子体操やったらいいよ(ただしまじめにな!)」
「・・・どうしよっかなー」
「・・・ええ!?」
と、ここでタコ入道(名医です)が入室してきた。
「えーと、ダメでした」
「みたいですね」と僕。
「何が原因だったんですか?」と妻。
「んー、ちょっとわかんない」とタコ入道(名医ですよね?)
「ははあ・・・(成功率7割じゃねーのかよ!)」
「それでね」とタコ入道は続けた。
これからが本題だといった口調だった。
「胎児の心拍がちょっと高いんですよね」
確かに、モニターの数値を見るとミミオの心拍は170台から180台を行ったりきたりしている。
「通常は160台前半ぐらいなんですよ。これだと、赤ちゃんはずっとマラソンしてるみたいな感じでね。これは何かしらストレスがかかってる証拠です。もしかしたら胎盤が機能してないかもしれない」
「・・・と、おっしゃいますと?」と、僕。
「このままだと赤ちゃん死んじゃうんでね」
「・・・と、おっしゃいますと?」と、妻。
「もう外に出して育てた方がいいという判断をするかもしれない」
「・・・と、おっしゃいますと?」と、もう一度妻。
「切って出す、ってことです」
******
ここで時は昨年の秋に遡る。
妻は渋谷区役所保育科で職員と激論を交わしていた。
渋谷区の規定では、児童は生後57日経っていないと保育園に入園できない。この時点でミミオの予定日は2月20日。これだとハナから4月の入園はムリと言う事になる。
ならば5月入園に申し込めるかと言うと、5月入園に並べるのは、4月入園に申し込んだけれども落選した児童だけだという。ミミオが4月入園に申し込む資格を得るには、2月4日に生まれている必要がある計算になる。
世の中が4月〜3月の年度区切りで動く中、これは2月3月生まれの子供には圧倒的に不利な制度なのだ。
この奇妙なルールに妻がキレた。
「それじゃこの子はいつになったら保育園に入れるかわからないじゃないですか!ハラ切って出せってことですかっ!!!」
切って出せってことですかっ!!……
切って出せってことですかっ!!……
切って出せってことですかっ!!(リフレイン)——
******
——「切って出す、ってことです」
イヒーッ!?
今日は1月30日。タコ入道の一言を聞いた時の妻と僕は、カツオくんにムチャ振りされたマスオさんのような表情だったに違いない。
ピザのことは消し飛んだ。っていうか、心の準備がまったくできていない!ミミオを迎え入れる準備(ベッドやら服やら)もまったくできていない!
明らかに狼狽える夫婦を意にも介さずタコ入道は続ける。
「14時ごろには判断しましょう」
「・・・判断してからどれぐらいでヤルんですか?」
「すぐですよ、すぐ。ぐずぐずしてられないんでね」
あと30分!?
・・・とりあえずオレ、牛丼食って来る!
******
産院の外へ出ると、一面の銀世界だった。
先ほどニュースで見た映像ではすぐお隣の渋谷には雪などまったく積もっていなかったというのに。
僕は取り急ぎ、妻の母親に連絡を入れた。
「もしかしたら今日産むかも知れません。うん、帝王切開です。確率は・・・7割ぐらいだそうです」
それは奇しくも、タコ入道が妻に示した外回転術の成功率と同じ数字だった。
僕は近くのすき屋で牛丼を掻き込むと、会社に午後半休する旨を伝え、すぐさま病院へ引き返した。
時計はちょうど14時を回ったところだった。
「どう?」
「うーん、高いままだね」
ミミオの心拍を示す数値は相変わらず170台と180台を行ったり来たりしていた。
ほどなくしてタコ入道(名医なはず)がやって来た。
「うーん・・・やっぱりダメかな〜・・・」
モニターを睨むタコ入道(名医であってほしい)に、妻が恐る恐る尋ねる。
「これって、外回転でムリに回そうとしたことが原因ですか?」
「んー、ちょっとわかんない」と、タコ入道(・・・名医〜・・・)。
それからしばらくの間、沈黙が部屋を包んだ。三者三様にモニターを見つめる。この時点で、もはやオプションなどないことは分かっていた。タコ入道のその一声を待っているだけの時間である。
そして、14時20分ごろ、ついに。
「・・・ダメですね、やりましょう」
タコ入道は、外回転術の実施を決めた時とまったく同じ口調で告げると、看護師にあれこれ指示を出し始めた。
(外回転術の7割はあっさり失敗して、この7割はあっさり的中かよ〜)
決断は下されたが、こっちの気持ちが整わない。そんな気持ちはお構いなしにタコ入道は続ける。
「今帝王切開となると、まださすがにちょっと時期が早いんでね、その後ウチだと見きれないんで、東京医大から小児科の先生を応援に呼びますから。到着し次第、立ち会っていただいて手術しますね」
なんでも、救急隊も一緒に待機し、産まれたミミオはそのまま東京医大病院へ救急搬送されていくという。
「それから、これが帝王切開の説明と同意書です。まあ、いろいろとリスクはあるんですけど、一番コワいのは肺血栓塞栓症で、これ下手すると死んじゃうんでね。その予防策なんかの説明も書いてあります」
肺血栓塞栓症とは、平たく言えばエコノミー症候群である。帝王切開後、時々聞く「母親の容態が悪化し・・・」みたいな事の典型的なパターンの一つらしい。
現代医療は僕が思っているよりずっと進化しているのだろうし、タコ入道のことも信頼している(するしかない)。帝王切開だってこの人達にとっては日常茶飯事だろう。
しかし。
こうして現場に当事者として直面すると、聞き慣れた「帝王切開」というコトバが圧倒的な緊張感を伴って胸に迫って来るのである。
ましてや今回は、本来の出産予定日から5週も早い。不安がよぎらない方がおかしい。
僕は処置室の外へ出て、再び義母に連絡を入れた。
「やっぱり切る事になりました。はい、大丈夫です。終わったらまた連絡入れますね」
なるべくライトに。まったく心配ないと言う風に伝わるよう、声色に気を遣った。それは、自分自身を落ち着かせるために他ならなかった。
きっかり15時。処置室に入ってきた看護師がタコ入道に告げた。
「小児科の先生が到着しました」
続いて入ってきた僕より遥かに若いであろう長身の男性(背は僕の方が高いけど)がタコ入道に軽く会釈をすると、ミミオのモニターをチェックした。
タコ入道と長身小児科は、医師同士にしか解らない言葉のやり取りを二、三交わした。
よく見ると、いつの間にかタコ入道は真っ青な手術衣に着替えていた。
「始めましょうか」
タコ入道の合図で、僕は部屋の外へと追い出された。ロビーと処置ゾーンを分ける磨りガラスの自動ドアが閉まると僕はもう指をくわえて無事にオペが終わるのを祈るだけである。
磨りガラスの向こうで、人々が手術室に飲み込まれて行くのが見えた。僕はそれを確認すると、ロビーのソファに腰掛けた。
出産を待つという気分ではなかった。医療ドラマでよく見るような、難しい手術が終わるのを待つ家族の気分だった。気を紛らわすために、再びiPhoneをいじる。Facebookを開くが、タイムライン上の文字や写真は網膜に映って通り過ぎるだけで、まったく脳に入って来ない。
そんな中、なぜかシェアされていたひとつのリンクに指が止まった。かの孫正義の記事だった。曰く、「ビジネスで成功したかったら、相手の予想を遥かに上回る圧倒的なスピードを身に付けろ!」というものだった。
うえええええ!うええええ!
その時、院内に産声が響いた。直感でミミオだと思ったが、ここには複数の妊婦が入院している以上、他人の赤ん坊である可能性も否定できない。ともかく現場にいない僕に確認する術はなかった。
ただ、仮にミミオだとしたら、それは早産の子とはとても思えないほど、大きな泣き声だった。
磨りガラスの向こうで、人の動きが慌ただしくなるのが見える。そして、ドアが開いた。
「池さんの旦那さま、どうぞこちらへ!」
午後3時26分。
ミミオは、親の予想を遥かに上回る圧倒的なスピードで産まれてきた。しかも、保育園4月入園の権利を自力でもぎ取るオマケ付きである。
コイツは将来スゴいビジネスマンになるという暗示なのか・・・?もしや我々夫婦の老後は安泰なのでは・・・?嗚呼・・・孫正義のせいで、我が子との初対面という大切な瞬間にアホなことしか想像できない・・・
看護師に誘われるままフラフラと入室する。
「おめでとうございます!」
うええええ!うええええ!
ああ、あの声はやっぱりミミオだった。
処置台の上で、まだ羊水に濡れた紫色の赤ん坊が手足をばたつかせている。
思ったより、ちゃんと新生児だった。未熟さは微塵も感じられなかった。そして、ミミオは毛むくじゃらだった。特に、肩から背中、上腕の裏側はビッシリと毛に覆われている。これが早産ゆえのものなのかはわからない。
女の子だから、この毛が残ったら可哀想だなあ。
早産の割に、体重は2322gあった。このまま予定日まで育っていたら、どれぐらいになっていたのだろう?
骨盤にねじ込んで出て来る必要がなかったからか、アタマは尖る事もなく、とても綺麗な形のままだ。髪の毛もフサフサしている。
初対面の時、時間にしてほんの1分程度の間に僕が確認し、感じる事ができたのは、そのぐらいのことだった。次の瞬間にはもう、看護師がミミオをひょい、とつまみ上げていた。
え?もう行っちゃうの?
「その前に、お母さんにも一目だけ・・・」
看護師は傷口を縫合している妻の元へ小走りでミミオを見せに行く。
「はい、元気な女の子でしたー!」
続いてミミオは首尾よく保育器に収められ、救急隊に委ねられると、あっというまにS山産婦人科を去って行った。まったく感慨に耽る間もなかった。
ミミオよ、オマエは本当に産まれた瞬間からスケジュールが分刻みのビジネスマンのようだな・・・孫正義もビックリだ・・・
ミミオが去ってしまうと、病院全体がある種の緊張感から解放された雰囲気に包まれた。
妻は未だ傷口の処置中で、僕は「がんばったね」と労いに行く事も許されず、しばらくロビーのソファで放心していた。
と、そこへ、まだ手術衣のままのタコ入道が現れ、僕の元へと歩み寄って来るのが見えた。
タコ入道は右手に何やらジップロック的なビニール袋をぶら下げている。袋の中は、紅ショウガ色の液体で満たされているようだった。
「手術は無事、終わりました。ちょっといいですか?」
タコ入道は、液体で膨れ上がったビニール袋をたぷたぷ揺らしながら僕をナースステーションへと誘った。袋の中身が何なのかはすぐに分かったが、形式上、聞く。
「それ、なんですか?」
「胎盤です」
タコ入道は、ナースステーション内の空いている椅子に「よいしょ」と腰掛けると、僕にも椅子をすすめた。
どちゃっ
そして、重量感たっぷりのビニール袋を無造作に床に置くとおもむろに封を開けた。その中には巨大なレバーを想像させる肉の塊が浸されている。
タコ入道は液体に手を突っ込み、素手で胎盤を引っ張り上げようと試みるが、なにせ、羊水的な液体が満タンに入っている袋である。今にもこぼれそうだ。見兼ねたのか、看護師が声をかける。
「せんせ、持ってましょうか?」
「んー、こぼれちゃうからね」
(だから、看護師さんが持つって言ってると思うんだけど!)
心の中で激しく突っ込みつつ、タコ入道の手先を見守る。
結局、タコ入道は液体がこぼれるのも構わず胎盤を引っ張り上げると、看護師から巨大なピンセットを受け取り、表面を覆っている皮膜をつまんでめくってみせた。
「ここ、ほら」
いや、先生は慣れっこなんでしょうけど、まじまじ見せられるとけっこう・・・なんというか、グロテスクなんですけど・・・
「これがヘソの緒なんですけど、胎盤の端っこに付いてるんです」
「と、おっしゃいますと?」
「普通、ヘソの緒は胎盤のだいたい真ん中から出てるんですね」
「ははあ」
「でもほら、こんなに端っこなんです」
と、言われても、僕には胎盤の何処が真ん中で、何処が端っこかもよくわからない。まあ、タコ入道がそう言うのだから、端っこに付いているのだろう。
「これは・・・珍しいんですか?」
「珍しいですねえ」
「ははあ、だから逆子が直らなかったんですね!?ヘソの緒が端っこのせいで、回ろうとしても引っ張られたりして!」
「んー、そうとも言えるし、そうでないとも言えます」
「・・・なるほど。これは検診では発見できないものですか?」
「できないですね。仮にこの状態に気がつかずに骨盤位が直っていて、そのまま無痛分娩していたら、あるいは・・・」
「赤ん坊は危なかったってことですか!?」
「んー、そうとも言えるし、そうでないとも言えます」
「・・・なるほど・・・」
「でね、ここにちょっと血の塊があるんで、 おそらく胎盤がはがれかけたのかもわかんない」
「ははあ・・・その、外回転術のときにですね?」
「んー、わかんない」
「・・・よくわかりました」
ここは手術室ではなく、ナースステーション。手術衣のままの医師がぬらぬら光る胎盤を鷲掴みしつつ僕と禅問答を繰り広げる横で、看護師が出産予約の電話応対をしているシュールな光景がこの出産を通して最も鮮明な僕の記憶となった。
そして妻はこの出産を終えた今、自然分娩、無痛分娩、帝王切開とありとあらゆる分娩法を体験した貴重な人材になった。その功績を讃え、「マスター・オブ・プレグナント」の称号を勝手に与えたいと思う。
——いや、まだ水中分娩とかいう方法が残っているな……
イケるのか、オレ!?
了
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