父の話

特に誰に見せるでもなく、自分の気持ちを書き連ねようと始めたことだが、父に関する感情ほどまとまらないものはない。

父は別に悪い父親では全くないが、本人が主張するほどイクメンでもいい父親でもなかった。まとめようとすればするほど一言では言えなくなる。

きっと文章力のなさで誤解ばかり招くことになる。たぶん父は私に興味がない人だったのだと思う。自分の子供に対する責任感はあるし、子供に対する思いもある。しかし、私という個性に対してほぼほぼ興味がなかっただろう。

父は男兄弟の下の方でそれほど期待もされていた様子もなし、けれど、公立の進学校から東大へ進学して中高一貫の進学校の教員になり、そこそこ高給取りになり、本を出版したり教科書の編集に携わったりして父兄や同僚からもそれなりに評価を得ていて社会的には成功者の部類に入ると思う。そんな父を子供のころは誇らしく思っており、父の妹である叔母は「面接で兄の話をしただけで銀行の採用試験に通った」ともいう重度のブラコンだった。だから、自分も何でも頑張らねばと思っていた。

下の方の息子でありながら両親(私にとっての祖父母)を養い、専業主婦家庭が50%を超える時代に小学校教員である母を認め、ともに働き家庭を営んでいる(進歩的な)自分を高く評価していたように思う。しかし、私が父にとても反発したセリフに「子育ては基本的に夫婦二人でやるのがいい、自分はそうして来た」というものがある。父は母と二人で助け合って家庭を回していたつもりであるが、実際はかなり違う。特に子育て。

別に父が子育てに協力しなかった、と責めているわけではない。だが、私の記憶の中で父は月曜日研究日で出勤しない、水曜日職員会議と土曜日週末の土曜日の夜は飲んで帰ってくるので遅い。というサイクルが出来ており、これはほぼ不変だった。子供が病気でも授業に穴は空けられない、と休暇をとることはなかった。平日昼間に行う事務手続きは月曜日にやるので母にはよかっただろうが、水曜日の職員会議は母も同様で、長引いたときに抜け出してくるか祖父に子供の保育園の迎えを依頼するのは母だった。

両親は教員で春、夏、冬と長期休暇が重なる。そのときに二人で旅行に出かけ、子供は祖父母に預けられていた(一緒に来てもよいと言っても子供向けの旅行ではまったくないのだ)。また、土曜日の夜のテレビを祖父母の家で見た記憶が多い。私自身の保育園時代は、母が私を祖母の家に預け祖母が保育園に連れて行って迎えに行って、母が夕方引取りに来る。母が遅ければ結うご飯を食べさせてもらう。これだけ祖父母に子育てを手伝ってもらっていて、そのことを認識していないことは本当に腹が立ったのだ。

父はとても自己肯定感が強かった人なのだと思う。両親を養い、働く妻を支え、子育てを担っている(日曜日に競馬場へ連れて行ってもらった記憶があるなぁ)、しかし、子供に押し付けることなく自由に選択を任せ自主性を尊重している。仕事も生徒に目を配り、生徒の努力に応え指導し、自分の研究もしている。実際に自分のしたいと思うことに対しては努力を惜しまない人だった。ただし、自分のしたくないことで押し付ける相手がいる場合は「できない、余裕がない」と拒否できる人だった。

したくないこと、母(私の祖母)の介護実務、子供のために自分の業務を調整すること、孫の世話…。

とにかく私や弟の学校生活(とくにPTA)にかかわる事は、3者面談など避けられないもの以外は全てスルーしていた。母は仕事の関係上さらにスルーしていた。無理はさせたくない押し付けたくないとは美しく聞こえるが、学級崩壊している中学校、いじめに遭っていた小学校、すべて知らないのだ。まぁ、私が自分のプライドでそんな話しをしていなかったのかもしれないが、私に日常については全く知らなかったし、知ろうともしなかった。

漫画が好きなことくらいしか接点がないのだ。興味の方向も勉強も逆。小さい頃はよく宮沢賢治の童話など読み聞かせてくれたり、たまに遊園地に連れて行ってくれたこともあったが、根本的に「子供の楽しみのために」という精神が薄かったため、自分の楽しみや興味が近づくことがないと自分からは歩み寄る努力をしないのであった。

自我の尊重といえば聞こえはいいが、ちょっとお高い課題を与えられて、自分の努力でそれについていかないとすぐに諦められる。今考えるとなんだかなぁ。父も母もある程度の能力のある人で、他人に期待をするくらいなら自分でやる方だったので、ある意味放任とも言えるだろう。

反抗期らしい反抗期がなかったのは、反抗するほど関わっていないということなのだとも思う。母とは友達のようだ、というのも母として面倒を見られていた時間が少ないというのもあるのではないか。繰り返すが、それが悪い、ということではない。ただ、親として生きるのに私が悩む原因が少しそこにあるのではないかということだ。

私は自分の子供の学校生活にほとんど興味がない。他人を傷つけず楽しく生活を送ってくれればいいと思っている。将来、自活してくれる基礎を身に着けてくれればそれでいい。これってだめじゃない?

人は自己肯定感や自信を育むのに、一番近い大人である親が見ていることが必要じゃない?不可欠とは言わないけれど、他の人間が代わりになるのってハードル高くない? 私自身の自己肯定感の低さや自信のなさ、生き辛さの根底にあるのってここら辺が影響してないか?

自分の子供に対して、同じことしていたらだめじゃない? 

記憶を辿ると「家に帰るとよそのお母さんは家にいて、おやつを出してくれて。」うちのお母さんは忙しいから(私より早く家を出て帰ってくるのも暗くなってから)、お手伝いしないと。電話がかかってきたらご飯をセットして、遅くなるからと電話が来たらお祖父ちゃんに弟のお迎えお願いして、洗濯物を取り込んで、ご飯の配膳して食事が終わったら洗い物してお風呂に入って歯を磨いてをどんどんやる。

今、自分の子供たちを見てると、朝起こしてあげて、夫が昼間に家にいることが多いので帰ってくると迎えてあげておやつをあげて、風呂には怒られるまで何十分も入っていて、食事も何十分もかけられて、促されなければ歯磨きもしなくて寝もしなくて…… こちらは腹が立つが、これはこれでいいのではないかと思う。頑張らなくてはいけない、親に出来ないと思われたくない、日常生活は自律的にやるものだというプレッシャー、確かにしっかりとしたまじめな人間になるのには役に立ったと思うが、ずっとしんどかった。

失敗や失望されること、親が正しいから怒られるのは自分が悪い、自分はダメな人間だと思われることを恐れて、誰かに助けてもらうことを良しとしなかった。本当は小学校、中学校時代に助けて欲しかった。もっと興味を持ってみて欲しかったのだと今なら思う。

期待が重い、という人もある。親のいうコトが鬱陶しいというのもわかる。でも、簡単に諦められることや期待されないことも苦しい。努力の方法を説明されず助けられず、自力で頑張ることを要求されて、応えられなければ仕方ない、無理させたくないと手を離されることは、本当に自分がつまらない人間に思えてしまう。何かで代償できればいいが、私はまだその境地には至っていない。

父が私に言った言葉で最後に頭に残っているのは、「いい子をやらせちゃったな。」 かっこつけにしか聞こえない。私の努力を認めず、余計なことをやらせてしまったアピール。ひねくれた捕らえ方かもしれないが、この後に言った言葉がなんだかな。

前にも書いた「子供は夫婦二人で育てた方がいい。」いい子である必要がなくなったら、今度は(他人(自分)の手を煩わせない)(自分の考える)いい親をやれと言ったようにしか感じられない。

そして、そんな父がなくなって何年にもなるのに、こんなにも腹立たしく思っている。永遠の反抗期の私。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?