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「普通」であることよりも【独り言】

こんばんは。
『えり』です。

今日は文章がはちゃめちゃかもしれませんが、
頑張りましたのでよろしくお願いします、、

最近、いろんな文学を通して考えを深めたり、
自分の今置かれている状況で物事考えたり、、、
たくさん頭を使います。
これは悪い頭の使い方ではなく、
今後より良い未来に向かうための頭のお仕事。

いろんなことを考えますが、
今日は「普通」であること、について文章をまとめます。

「普通」ってどういう意味かご存知ですか?
言葉の意味というより、解釈の方。

「普通」という言葉だけで言えば、
ありふれたものであること、あたりまえであること、といった意味になります。

でも世の中で使われている「普通」は??

私は簡単に、「多数決で多数派であること」が「普通」なのではないかと考えます。
まぁ、これはなんとなくみなさんもそう思われてますよね、、、

だからこそマイノリティがどーのこーのだ、そういう話が繰り広げられるわけで。

私はなぜ今回「普通」をテーマにあげたかというと、何冊か読んだ本と自分の思考を通して、
「普通」であることにこだわるよりもっと大切なことがあるじゃんと気付かされたからです。

この世の中、「普通」とされる人にも「普通じゃない」とされる人たちにも平等に人権があります。(だからSDGsだ、なんだーとかジェンダーがどうだーとか、盛り上がってる訳ですよね、「普通」の人の間で)

どんなジャンルでもいいけれど、「普通」から外れた人たちって孤独だし、心の居場所を見つけるのも大変だと思います。

私だって、たまたま今の時代に生まれたから精神疾患がある程度理解されるけれど、全く理解されない時代だったら私はどうなっていただろうか、、、
今もまだ精神疾患の理解が完全ではないですけどね。

では、あらゆる面でマイノリティとされる人たちにとって大事なことは何でしょうか。

それは、「普通」を目指すことでも、「普通」になりすますことでもなく、
仲間との繋がりを作ることだと思います。
同じような悩みを抱える人、同じような悩みを抱えた家族がいる人、、、
その上で、今の自分自身を尊重してあげるべきかと。

最近読んだ本数冊だけでもこのような考え方について書かれています。

大事なのはどこに所属するかではなく、
「繋がり」なんだ、と。

絶対にあなたの理解者がどこかにいます!とはただのそこら辺に落ちている人間には言い切れないのですが、、、

普通になろうと努力する力を、
場合によっては違う方向に使ってみてもいいのかなというお話でした。
自分の個性、潰す必要なんかないです^ ^

苦しみながら「普通」に紛れ込むくらいなら、
1人でもありのままの自分を理解してくれる人を見つけた方が未来は良くなる、気がします!

私はそうやって生きていこーっと、
いろんな本読んで思いました!

また違う本読んでまーったく逆の話し始めても許してくださいね、!
上記は、現段階の私のありのままの意見なので、、、
時間とともに変わることも、あるかも、、、

ありのままの『えり』より。

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