#0 自己紹介
日常で感じてきたことや 自分の気持ち、
考えなどを何処かに書き溜めておけたらな、
と思いnoteを始めてみました
2021年8月にこのアカウントを
開設しており、自己紹介の記事を
1500字くらい打ち込んだところで
力尽きたのか、
そのまま3年間放置していました…
3年前の1日坊主な自分に打ち勝つためにも
今度こそ自己紹介を遂行します.ᐟ
とても長く拙い文章ですので
お時間がある時に、ぜひ最後まで読んで
いただけたら嬉しいです
飽きさせないように頑張ります.ᐟ.ᐟ
はじめに
名前は【ありさ(本名)】といいます
”ありさ” という名前の大半に使われる
有という漢字は使われず
”あ” ”り” ”さ” の一文字ずつに
漢字が割り当てられており
そこそこ珍しいので
(同じ漢字の方と出会ったことがありません)
身バレ防止のためにも非公開とします
愛知県名古屋市出身、関東在住の31歳です
(2024年8月現在)
父・母・兄2人の5人家族の末っ子長女として
1993年4月のとある水曜日に誕生しました
兄妹構成を話すと大体
”お兄ちゃん達から可愛がられてるでしょ〜”
などと言われ 羨ましがられますが、
そういう人たちは兄妹への憧れが強い
(主に漫画やドラマの見過ぎ) か、
もしくは自身や周りの兄妹仲がいいか、
の二択です
私が実際に可愛がられているかについては
半分正解で半分不正解です
兄の話になったので
私の家族について話をしながら
自己紹介をしていこうと思います.ᐟ
兄達
りっくん
りっくんは高校卒業後すぐに
実家を出て関西にある会社に就職しました
年に2回しかない、りっくんの帰省が
待ち遠しかったのを今でも覚えています
りっくんは帰省する度に
遊びに連れて行ってくれたり
面倒見がよくて優しい兄でした
身長が高くてシュッとしていて
周りの友達の兄よりもずいぶん大人で
かっこいいりっくんは
私にとって自慢のお兄ちゃんでした
家族の中では会える回数が少なく
圧倒的なレア度を誇っていたので
わたしは小2くらいまでりっくんのことを
”キムタク” なのでは?
と割と本気で思っていました
(実際は全く似ていません)
私が成長するにつれて
りっくんのお腹も成長していき、
シュッとしていた、かっこ良かった
りっくんは影も形もなくなってしまいました
現在のりっくんは
身長179cm 体重100kg超え
ビッグなアラフォーパパとなりました
りっくんの顔は ”Yes!アキトさん” を
想像してください かなり似ています
"ムール貝かいっパカッ酒蒸しにして〜
酒蒸しにすると酔っぱらっちゃう
ヨ〜ン様、ンサタバサ"のメガネの方です
余談ですが、私はお笑いが好きです
だからか、誰に似ているかを例える時に
俳優さん ではなく 芸人さん が
先に頭に浮かんでくる節があります
お笑いに精通してない人に伝える時は
なかなかピンときてもらえません
まもくん
まもくんとは歳が近く、子供部屋で
共に過ごす時間が長い為
何かとよくケンカをしていました
母に聞いた話では 私が3歳になる頃まで
まもくんは かなり私にべったりで
私が知り合いに抱っこされて
泣き出そうもんなら
”ありちゃんをお母さんに返して”
と幼いながら兄として妹を守ろうと
していたようです
私が小学校に入学した辺りから
ケンカが増えていきました
生意気な私が まもくんを口で負かせて、
拳での反撃に遭い、泣かされる
という一連の流れがデフォです
もちろん365日ケンカばかりではなく
仲良く過ごす時もあります
そんな時は当時流行っていた
芸人さんのモノマネだったり
2人で繰り返し何度も観た
映画 "ライオンキング" の
ティモンとプンバァのセリフや
表情を完コピするという 謎の遊びや
子供特有(?)のオリジナルワードを
考えて発表し合うという、
これまた謎の遊びをしていました
家族の中で1番のユーモアを誇る
まもくんは学校や近所でも
明るくて面白いと言われ、人気者でした
そんな まもくんの妹である私は
兄への対抗心からなのか小4から小6まで
同じクラスのお笑い好きな男の子と
コンビを組み、先生に頼み込んで
オリジナルのコントや漫才を
ホームルームで披露をしていました
当時のコンビ名は確か「社長と部長」でした
いかにも小学生がつけそうな安直な名前です
ネタについては一切 記憶にありません
念を押しておきますが
一切、記憶にございません
とにかく、まもくんは私にとって兄であり
ライバルで、また 師匠でもありました
現在のまもくんは
身長173cm 体重70kg
マッチョなパパになりました
まもくんの顔は "中田敦彦さん" と
"阿部一二三さん" を
7:3の割合にした感じです
両親
ゆういちろう
父、裕一郎が37歳の時に私が誕生しました
父は小さな設備会社を経営しており、
職人さんでもあります
口下手で控えめで 優しい性格ですが
1度決めたら考えを曲げることがない頑固者、
THE 昭和な人間です
私は父の出身地である屋久島へは
行ったことがありません
父が幼い頃に一家で名古屋に移住したので
屋久島の実家はその時に取り壊したそうです
私は幼い頃から
"将来はお父さんと結婚する〜"
なんて言うほど、絵に描いたような
お父さん大好きっ子です
これまで父に対して反抗したことは
1度しかありません (あるんかい)
世間で言う思春期と反抗期の最中、
私は月に2回 父と2人で
映画館デートをしていました
多い時で、1日に3作品
鑑賞することもありました
それと 幼い頃から父と一緒に
近所のスナックへよく歌を歌いに行きました
私は父の歌声も大好きです
私が初めて 1曲ちゃんと
歌えるようになった歌は、
幼い頃に父が私をお風呂に入れながら
教えてくれた石原裕次郎さんの
"銀座の恋の物語" (通称 銀恋)です
幼い頃は何とも思っていませんでしたが
銀恋の歌詞の中で "サックス" という
ワードがあり、父のパートなのですが
父は滑舌があまりいい方ではなく
私が高校生になった辺りから
若干、卑猥な言葉に聞こえてしまって
一時期、銀恋を父と歌うのが
恥ずかしかったのは ここだけの話です
今でも帰省した時にスナックへ行くと
必ずデュエットします
今は恥ずかしくありません
何がともあれ、
私が映画や音楽、歌うことが好きなのは
紛れもなく父のおかげです
父は私に対して甘いですが
その大きな愛が故に
かなりの心配性でもあります
"お前はそそっかしいから"という理由で
地元にいる間は車の運転免許を
取らせてくれませんでした
(現在は無事に取得済みです ✌︎ )
初めて父に反抗したのは私が25歳の時でした
東京の会社へ転職する為、
令和になるタイミングで上京したいと話すと
父は猛反対
反対されることは想定内でしたので
リーサル・ウェポンを発動し
説得を重ね最終的には"お前の人生だもんな"
と渋々送り出してくれました
上京当日は父のハイエースに
荷物を積み、夜中に一緒に名古屋を出発し
私が大好きな”YUI” のCDを流しながら
父の運転で私を東京へと送り届けてくれました
そして父は”YUI” のCDを流しながら
名古屋へと帰っていきました
何故か現在も父のハイエースには
”YUI”のCDが入っています
ちなみに父は家族で唯一 シュッとしており
身長165cm 体重58kg
父の顔は "明石家さんまさん" と
"岸谷五朗さん" を足して割った感じです
さゆみ
母、さゆみが31歳の時に私が誕生しました
今の私と同じ年齢です
母は元々専業主婦でしたが
働き者で、働くことが好きな母は
近所の市場でパートとして勤めたり
15年前に介護の資格を取得してからは
介護施設で働いています
母は明るく、大きな声でよく喋るので
控えめな父とは対照的な性格です
昔から私には特に厳しい母親でした
”あんたは女の子なんだで、
お兄ちゃん達とは違うでね”
”気が遣えるようにならんといかん”
と、名古屋弁キツめの呪いの言葉たちを
母から事あるごとにかけ続けられた結果、
誰に対しても過度に気を遣ってしまう
今の私が出来上がりました
父が私に甘い分、
”自分が厳しくしないといけない” と
母なりの 愛のムチだったのだろうと
気づいたのは二十歳ごろでした
社会に出てからは特に上司や周りに
よく気がつくね、気が利くねと
”気遣い”について褒めてもらえるように
なったのは紛れもなく母のおかげです
しかし、父に反抗する必要がなかった分
思春期 特有の反抗心は
母へと向かってしまいました
母が更年期になった頃に
いくつか珍事件が起きたので
それはまた別の機会にお話します
母は中肉中背で
身長は153cm と小柄です
女性なので体重は非公開とします
母の顔は ”エド・はるみさん” と
"仲間由紀恵さん" を足して割った感じです
私
まだ名前と年齢、出身地と現住地しか
お話していませんでしたね…
内面 ーソフトー
明るさと暗さを兼ね備えており
根が真面目な平和主義、
完璧になれない完璧主義です
最近流行りのMBTI診断では
ENFJ (主人公)でした
かなり利他的です
基本的に誰に対しても心を開くのが早いです
人を信じやすく、その結果 騙されたり
裏切られる なんてこともありました
その経験から、心を閉じるのも早くなりました
自分のためよりも誰かのために
お買い物をする方が楽しいです
大切な人へプレゼントを贈る時は
財布の紐は緩めです
友人は狭く深くですがフッ軽なので
知り合いはそれなりに多いです
親友と呼べる友人が男女ともにおり、
世間ではいろいろ言われていますが
私は男女の友情が成立しています
自分で言うのもなんですが
接客業の経験と利他的な性格から、
そこそこコミュ力があるので
特に初対面の人には好印象を持ってもらえます
少人数が大好きで、2人か3人がベストです
大人数も頻度が少なければ楽しめますが
4人以上になると協調性のない人が
1人は存在するという統計があるので
大人数で集まる際は潤滑油に徹します
(統計のソースは私の経験です)
小学生の時に一時期、
クラスの女子からハブられたり軽くいじめを
受けていたので大人数の女性は
未だに少し苦手です
兄が2人いるから、なのかは分かりませんが
私は幼い頃から
女の子たちと室内で遊ぶよりも
男の子たちと外で走り回ったりする方が
何も考えずにいられるので楽しかったし、
あまり気を遣わずに済むので楽でした
家族や友人など大切な人を笑わせたり
喜ばせることが好きで、
ユーモアを大切に生きていますが
笑えない冗談には笑いません
言葉遣いや人の表情、態度に敏感で
飲食店など、お店の店員さんに
横柄な態度をとる人や
平気で心無い言葉を使う人
お客側なのに ”お客様は神様” タイプの
人には できる限り近づきません
心を閉じるタイミングです
かなりの飽き性で、ずっと続けていることや
熱狂的に何かにハマることは
ほとんどありません
何か1つのことをずっと続けている人や
オタク気質の人が羨ましいですし
めちゃくちゃ尊敬しています
基本的には明るく過ごしていますが
自己肯定感が結構低いので
少し褒められただけでめちゃくちゃ喜びます
チョロいです
根っからのマイナス思考で
常に最悪の状況を考え、
できる範囲で自分の身を守ります
幼稚園児の頃、当時いつ起こっても
おかしくないと騒がれていた
”東海大震災” を知ってからは
私は地震が来たら死ぬんだ…と
夜寝る時に布団にくるまって怯えていました
(現在は ”首都直下型地震" に怯えています)
感動した時、嬉しい時、大爆笑した時、
悔しい時、悲しい時、勝手に涙が溢れます
涙もろいです
何なら横に寝っ転がるだけで
涙がじんわり出てくるので
文字通り涙腺が緩いのだと思います
仕事で怒られた時や、泣きたくないシーンで
ここで泣いてたまるか.ᐟ と意気込んでも
勝手に涙が流れてくるので困っています
対処法を知っている方がいらっしゃれば
是非、ご教授願います
と、色々書きましたが
こんな感じの性格で少々生きづらいです
外面 ーハードー
身長は161cm 体重は…
女性なので非公開としますが
自分の中で、いま痩せてるかも!?と
最後に思ったのはホットヨガに週5ペースで
通っていたコロナ禍前です
その時の体重は52kgくらいでした
親友の男の子に
”君なら霊長類最強目指せるんじゃない?”
と言われたことがあるくらい
服の上からみても分かるほど
肉付きは ”しっかりめ" です
身体を動かすことは好きなので
また何かしら運動はしたいと思っています
ダイエットの話になったので(なってない)
今まで経験した習い事や
部活についてお話しますね
習い事は3歳からバレエ、絵画、
6歳から水泳、習字、
9歳からピアノ、ダンス、
ソフトバレーボールを習っていました
不思議と3年周期で変わっています
学生時代の部活も様々で
小4から部活動が始まり
春は卓球部、夏は水泳部とソフトボール部
秋冬はバスケ部 と、私の通っていた小学校が
珍しいのか季節ごとに
部活動が変わるシステムでした
中学時代は3年間バレー部で
主なポジションはレフトでしたが
あまり真面目に参加していませんでした
高校時代は3年間ダンス部で
ダンス部に入る為にその高校を
選んだと言っても過言ではありません
高校の中で厳しい部活の
ランキングを作るとしたら
ダンス部は第2位です
(ちなみに第1位はラグビー部)
練習が辛く、何度も辞めようと
悩みましたが 先輩が怖すぎて
結局は辞めることが出来ませんでした
続ける以外の選択肢が無くなった
2年生の時に予選大会を勝ち抜き、
全国大会に出場することができました
初めて死にたくなるくらい頑張った努力が
報われた瞬間でした
”死にたくなる”という表現は
決して大袈裟なんかではなく
実際に通学路の坂を自転車でブレーキを
かけずに下って、車がタイミングよく
轢いてくれないかな…と妄想するのが
自転車組のお決まりでした
なお、電車組もそういう類の
妄想をしていたみたいです
少なくとも私たちの代は睡眠により
満タンになったばかりの残機を
1機、失いながら毎朝登校していました
不謹慎な話をしてしまい
気を悪くされた方がいらっしゃったら
本当に申し訳ないのですが、
あの頃の私達はそれほどに
追い込まれていたのです
安心してください、みんな元気に生きています
いま、辛い状況にいる人がいたら
HONEBONEさんの「生きるの疲れた」
を騙されたと思って1度聴いてみてください
私はこの曲に何度も救われました
話は戻りますが、
1つ上の先輩が引退する少し前に
私は副部長に指名されました
辞めずに続けて本当によかったと、
かけがえのない青春だったと今でも思います
ですが、もう一度経験するかと聞かれたら
答えはNOです
地獄の練習の日々を思い出すだけで
未だにちょっと胸焼けします
見ての通り 何か1つを
ずっと続けることが苦手で、
恐怖に支配されてやっと続けることができます
悪く言えば "飽き性な小心者”
よく言えば "それなりに器用" です
学生時代
とにかく活発で小学生の頃は何でも出来る、
何にでもなれるような気がしていましたが
同時にリアリストでもあったので
夢を抱いては諦めることを繰り返していました
最終的に小学校の卒業文集にある
将来の夢の欄には
”ふつうの専業主婦 ”と書いてあります
小6とは思えない、
夢のない 嫌な子供ですよね
中学生になると人生で初めて
親友と呼べる可愛くて天然な
女の子の友達ができました
中学3年間 同じクラスという
奇跡も起き、私の人生に
必要不可欠な存在です
今でも名古屋へ帰省する時は
ほぼ100%の確率で会います
昨年と今年は2年連続で
親友はお子さんがいるのに
わざわざ 関東に会いにきてくれました
高校は親友と同じ学校を
推薦受験し、2人とも合格できたのですが
私は3年間 部活に明け暮れていたので
あまり時間を共にすることが
できませんでした
社会人
私が高2の時に、両親が離婚したので
空気を読んで何となく就職しました
初めて入った会社は女性の多い職場で、
実家では 当時不仲だった母と
2人きりだったこともあり
精神的にも身体的にも休まらず、
体調を崩して3ヶ月で辞めてしまいました
とはいえ、早く実家を出て
自立したかったので、すぐに転職しました
地元で一人暮らしをしながら
興味があって、生活の必需品である
スマホに詳しくなれると思い、
携帯ショップのお姉さんになりました
派遣社員から契約社員、正社員と
合計して約6年間勤め、
最終的に店長まで経験することになります
接客業に疲れ果てた私は
事務職へと転職しました
その会社に勤めて1年が経つ頃に
先に東京の会社へ転職していた
携帯ショップ時代の先輩に"東京においでよ”
と誘われ半年ほど悩みましたが、
若いうちに地元を離れるのも
いい経験になりそうだな、とフッ軽な
私は半分ノリと勢いで上京することにしました
ちょうど令和になるタイミングでした
東京の会社では携帯ショップ時代の
経験を活かした携帯の代理店の
法人営業アシスタントをしていました
分かりやすく説明すると
会社用のガラケーやスマホの
開通作業や故障対応などです
この会社は2年間勤め、辞めることにしました
あまり親しくない人に話すときは
結婚を機に辞めたと話していますが
実際は、膨大な業務量と
当時相談できるような上司がおらず
体調を崩し、病院で適応障害と診断されたので
1ヶ月休職し、そのまま退職した
という情けない理由です
携帯ショップでの苦悩や
この時の話もどこかでしようと思います
趣味
続けることが苦手な私ですが
お笑い、音楽、映画・ドラマ鑑賞、
お酒という趣味があります
① お笑い
TVで観ることはもちろん好きですが、
ライブへも何度か行ったことがあります
幼い頃からお笑い番組や
バラエティ番組を観ることが好きで、
よく観ていました
上京してからは、お笑いが好きな人と
出会えていないので、共有できず
少し寂しく感じています
好きな芸人さんや番組についても
追々更新します
② 音楽
NO MUSIC NO LIFE くらい
音楽は私にとってなくてはならないものです
ライブにもよく足を運びます
聴くことも好きですが
歌うことも同じくらい好きです
お風呂に防水のスピーカーを持ち込んで
シャワーだけの時も
音楽を流して歌っています
誰かと行くカラオケの方が好きですが
ひとりカラオケにも行きます
携帯ショップの店長時代に仕事のストレスを
発散する為、多い時で週2のペースで通い
1回につき平均して3時間、
最長5時間 歌っていました
好きなアーティストなども追々更新します
③映画
父の影響で映画が好きになり、
13歳から集め出した
映画の半券は 現在148枚になりましたが
Filmarksという観た映画を
記録できるアプリでは 配信の作品も含めて
432作品をMarkしています
邦画も洋画も問わず観てきましたが
今後も揺るがないであろう
ベスト作品は
”アベンジャーズ エンドゲーム” です
好きな映画についても追々更新します
④ドラマ
映画と同様に国内、海外問わず
好きなのでよく観ます
Filmarksでは196作品Markしています
映画に比べると、1作品に使う時間が
邦画は5倍、海外ドラマは10倍ほどあるので
飽き性な私が最後まで観る作品は
かなり限られてきます
ドラマのベスト作品は
”大豆田とわ子と三人の元夫” です
坂元裕二さんの脚本が大好きで、
過去作品もチェックしています
好きすぎて生活のBGMにしたり
かれこれ10周以上は
観たり聴いたりしています
好きなドラマについても追々更新します
⑤お酒
お酒を初めて口にしたのはハタチです…
と言いたいところですが
実際は3歳ごろかと思われます
初めて飲んだお酒は
”ワンカップ大関”という日本酒です
初めて飲んだ時の記憶は無いのですが
ワンカップを一番初めに飲んだことは
間違いありません
というのも、母方の祖父は
母が10歳の頃に病気で亡くなっており、
ワンカップが好きだった祖父の
お墓参りへ行くと必ずみんなでワンカップを
一口飲んでからお供えをするという
”謎のシキタリ”があったので断言できます
なお、母の趣味は寺社仏閣巡りですが
変わった宗教などには入信していません
ちなみに家族も私も一般的な仏教です
信仰心はあまり ありませんが
お盆や年末に帰省した際は
必ずお墓参りに行きます
私が中学生になる頃には
飲酒運転に厳しい世の中になったので
一口飲めるのは運転手以外になりました
月日は流れ、社会人になった私は
酒飲みのポテンシャルがあったのか
あまりお酒に飲まれたことはありません
最後にお酒に飲まれたのは22歳の時に
クラブでテキーラを6杯と
イエーガーマイスターを3杯を
一気飲みした時です
2つしかない女子トイレの個室を
1時間独り占めしました
(若気の至りエピすぎる)
9年も前の出来事と思うと
そんなに歳を重ねてしまったのか…と
ゾッとします
言わずもがな、それ以降は
テキーラやイエーガーは避けています
上京した後は、友達作りのために
近所にあったカウンター7席のみの
落ち着いたオーセンティックBARへ
週2ほど通い、そこで様々な美味しい
お酒に出会い
また、お酒が趣味の友人にも
出会うことができました
好きなお酒についても追々更新します
感謝
最後まで読んでいただき、
本当に ほんとうに、ほんっっっとうに
ありがとうございます
拙く、長ったらしい (8500字以上の)
文章になってしまいましたが、
徐々に上達していきたい所存です
未熟な私の成長を見守りつつ、
いま読んでくれている
あなたの退屈しのぎになれたら、本望です
スキ と フォローをしていただけたら
とっても励みになります.ᐟ
嬉しさのあまり泣いちゃうかも…
P.S 3年前の自分に勝ちました🔥
ではまた近いうちに更新します
2024.08.25
𝘈𝘙𝘐𝘚𝘈