似合いそうなハイウエストの服を見つめながら優しさについて考えた
ありんごです
私はハイウエストの服が似合う。自惚れみたいだが、そうではない。腰の位置が平均的なのでハイウエストにすると少し足が伸びて、自分の中でちょうど良いスタイルになるのだ。似合う服のタイプの一つということだ。友人に腰の位置が高い人がいてモデルさんみたいで羨ましく思ったりするのだが、友人曰く「ハイウエストなんか着たら胴がなくなるから無理、超奇妙になるんだもん。ブランドによってはハイウェストばっかでほんと無理。デザイン好きなのにあーもう!」とのことで、当人には当人の悩みがあるのだなあと思った。超奇妙って表現、初めて聞いたけど。
とはいえ私はジャストウェストやローウェストはあんまり着たくないなあくらいのことは思うけれど、あんまり足が長く無いことを、悩みと捉えるほどでもない。私は開き直りの達人なのだ。「私の腰の高さは平均的だなあ。」以上。それ以上でもそれ以下でも無い。ちなみに、あえて具体的に書こうとは思わないけれど、なんとなく「こういう特徴が美しい」みたいな世間の流行から外れている特徴も私には沢山あって、でもその特徴は特徴でしかないから、だからこそ私はもう私を傷つけさせない。「うんうんたしかにそうだけど、だから何なんだ?」って思えるようになったから、良かった。あえて身体的特徴をとやかく言ってくる人やジャッジしてくる人はさようならである。
他人の見た目についてディスるだけでなく言及すること自体にも、思うところがたくさんある。もっとそれを表現したい。
ちなみに、個人的意見だが、私は別に、たとえば、「ありんごは脚が短いなあ」とか「あんまりタイプじゃ無いなあ」とか思われるのは全く構わない。心は自由だから。思うのは自由だから。だってきっと、仲良い人であっても時にはそんなことを思われてしまうことがあるだろう。それは仕方ない。でもそれを言うんじゃないよと思うのである。なぜ相手に伝えようと思った?と浅慮だなあと思って不愉快なのである。私は優しくない人が嫌いである。即座に私の世界から退いてもらうと決めている。
ハイウエストの服を見つめながら優しさについて考えた。理想の優しさとはどんなものか、ちゃんと研ぎ澄ませて具体的にして、掴み取って、さらには人に与えられるようになりたいものだ。そこまで考えさせてくれるのだから、似合いそうな服とはなんと素晴らしいものだろうか。
ありんご