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I overdosed should’ve known your love was a game

ありんごです

タイトルは、Charlie Puth(feat. Selena Gomez) We don’t talk anymore の一節です

もう5年以上前の曲だ

CharlieとSelenaがそれぞれ、男性目線と女性目線で歌うけれども、最後には2人でも歌うけれども、結局交わることはなく、まさにWe don’t talk anymore という状態で終わってしまう曲だ

MVも、画面の真ん中から左が男性、右が女性の映像で同じ1日を映していた。そしてやはり、お互いに吹っ切れてはいないけれど、互いに声をかけたり交わることもなくWe don’t talk anymoreという状態で終わる

私はMVのラストに覚えがあるので、当時とっても刺さった記憶がある

誰もが誰かとの関係において、ああやって匙を投げた経験があるのではないかと思う

さて、記事タイトルにもしたフレーズは、初めて聴いた時は少し不思議に思ったものだ

“I overdosed

should’ve known your love was a game “

夢中だったけど相手は遊びだったんだなあ、みたいなニュアンスだと思うのだが、実際にお互いにそう思うシチュエーションなんてあるだろうか?

この歌詞はCharlieとSelenaのどちらのパートにも入っているから、男女が互いにそう思ってすれ違っていると解釈するのが妥当だと思う

しかし、現実問題、「自分ばっかり夢中で相手は遊びっぽいな」と自分が思っているならば、自分は夢中なわけで、そういう時に相手からも「自分ばっかり夢中で相手は遊びっぽいな」なんて思われちゃうこと、あるんだろうか?

そんなにわかりづらい二人っているんだろうか?

そういう意味で不思議に思ったのだ

自分が相手に夢中であることで、相手から引かれてしまったり、あるいは仲良くなり始めたり、、、といった対応や反応が見られることはあるだろう

でも、相手に夢中だということ自体が気づかれないってあまりなくないか?と思うのだ

この曲の二人はよっぽど互いにわかりづらいタイプなのか?

それとも私や私の周りの人間がわかりやすすぎるのか?

いや待てよ?

仮に、リップサービスではなく、お互いに本当に相手に夢中だったなら、それなのに相手が自分に夢中であることに気づかないのって、どうなのよ?

夢中だったのは、相手にじゃなくて、相手を好きな自分に、だったんじゃないのか?

と思い至る

見方がガラッと変わる

愛は猛毒、自分も相手も見失わせる一面があるよなと、再確認する

それからフレーズに立ち返ると、どうだろう?

“I overdosed

should’ve known your love was a game”

恋に、あなたに、溺れたつもりでいた

でもその楽しみに耽っていたら、恋は終わってあなたも離れてしまった

そんなふうにも解釈できる気がする

見失いたくないな、私のことも、好きな人のことも

なんて思った

何もかも見えなくなって離れていく前に、

伝えたいことを伝えていただろうか?

伝えてくれたことを、受け取れていただろうか?

そんな問いもこの曲はくれる気がしている


ありんご








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ありんご
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