明らかに傷ついているのにそれを認めない時には
ありんごです
どうしたら良いんだろう。大切な人が明らかに傷ついているのにそれを認めない時には。自分だって、後になってあの時傷ついていたんだなあと思う時はあるから、人の事はとやかく言えないけれど。みんなどうしているんだろう。大切な人が何らかの理由で明らかに傷ついているけれど、大丈夫だと言ってくる時。全然平気だよって陰のある顔で笑う時。無理があるでしょ!と言いたくなる表情。どうしたら良いんだろう。
突っ込むべきではないんだろうか。迷った挙句、背中をさすって「無理して笑わなくていいんだよ」と言ってしまったけど、それは言わないべきだったのだろうか。差し出がましかっただろうか。無理して笑っている、と感じても「無理して笑わなくていいんだよ」なんてわざわざ言うべきじゃなかったんだろうか。
根本的には、本質的には、人は人を救えやしないと私は思う。できるとしたら誰かのきっかけになることだけ。最後は、究極的には自分が自分に気づいてどうにかするのみだと思う。だからこそ、やりすぎてしまったかなと思うのだ。
かと言って、少し影のある笑顔に何も突っ込まないで見過ごすのはいかがなものかと思うこの気持ちも、同じように私のものなのだ。これが俗にいう葛藤というやつなのだろう。
あるいは、そもそも「明らかに傷ついている」と認識のは私の感覚に過ぎないのだから、それ自体私の思い込みかもしれない。じゃあやっぱり差し出がましかったかな。
でも、人の気持ちを完全に当てるなんて不可能だし、思い込みだから何も言わない!なんてことを繰り返していて、コミュニケーションなんて取れるのかな。
うーん。結論どうしたらよかったのかわからない。正解なんてないのだろうけれど、できる限りのことをしたつもりだけれど、一旦は様子を見るしかなさそうだ。大切な人よ、どうか幸せに。私は私を生きる。そうしてコミュニケーションを取りながら、その人をそっと見守るのみだ。
ありんご
心が波立っているというよりは、記事に書いたようなことを考えながら、「いかなる時もそよ風に吹かれる花々のように生きていきたいものだなあ」と心に浮かんだのでヘッダーをお借りしています。心に浮かんだイメージとヘッダー画像とが偶然カチリとはまって出会う瞬間に、日々心が躍ります。