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『前代未聞の一戦』何が起こるかわからない懐かしさ。私は「歴史の証人」になりました。

すみません。先に謝る。
今回の内容は、業界のルールなど何もわかっていないオバちゃんが
「好き」の情熱だけで勝手に語る話です。
以下、表記は下記の通りです。
DDT=DDTプロレスリング
髙木さん=高木三四郎選手
男色先生=男色ディーノ選手
坂井さん=スーパーササダンゴマシーン選手
テンチョー=まついなつきさん
※リンク先はXです。

髙木さんが選手としての活動を無期限休業すると聞いたとき
「ラストマッチは男色先生かな? 坂井さんかな?」と
まず思いました。
他に誰がいるのかと。他に誰がやれるのかと。

6/26(水)に坂井さんと試合をする。
そう聞いたとき、
「あぁ、男色先生が両国なんだ」と素直に思えました。
どの時点で決まっていたかはわかりませんが
男色先生、試合内容について
そうとう考えているんだろうなぁと思った。
そりゃそうだろうよ。男色先生が考え込まないわけがない。
「無期限休業とかいっているけど次はないと思え」
くらいに内容を練りこむんだろうなと思っていたら
男色先生のnoteにそのようなことを書いていらして
「あ、やっぱね」と思った。なんかしらんがそれを読んで安心した。

6/26(水)新宿faceでおこなわれた興行は
髙木さんがプロレスラー活動を無期限休業する前におこなわれた大会。
※7/21(日)両国大会まで
ご本人がやり残しがないようにさまざまな選手、会場で
髙木さんがやりたい試合を伸び伸びとおこなう無期限休業ロード中の
一試合です。

「前代未聞の一戦」と銘打った大会だったが
言葉通り、素晴らしい大会でした。

私がDDTを始めてみたのは2009年両国大会。
今のDDT、もちろん大好きです。
若い選手が伸び伸びと、自分の意思を持って活動している。
その姿は見ていて気持ちがいいです。
震災前のDDTは私のさまざまな価値観を変えました。

初めて見たDDTはとても衝撃的でした。
「プロレスって… こうなんだ…」と。
その中で目を引いたのは
男色先生と坂井さん。
お尻を出している姿に衝撃を受けたわけではない。
そんなものは吹っ飛ぶくらい
バチバチとした戦いではなく
練りこまれた試合内容に衝撃を受けた。
「プロレスって、体をはって戦うだけじゃないんだ…」と。
プロレス初心者のBBAを一気にその世界に引き込んだ
男色先生と坂井さんってすごい力を持っている方だと思います。
吸引力、ダイソン以上です。

そのあとは、新宿ロフトプラスワンでおこなわれるトークイベントなどに
足しげく通ったものです。
通えば通うほど、
プロレスって面白いと思いました。
ま、多くのプロレスファンの方が思うような面白さではないと思うけど。
DDTの面白いって、私にとっては興味深いのおもしろさです。

当時すでにプロレスファンの間では認知されていたDDTですけれど
「DDT? あー…」という感じだったと思う。
というか、実際にそういわれることが多かった。

プロレス業界に詳しくない私ですが
新日本プロレスが大きな団体とかその程度のことならわかります。
でも、私の業界知識はその程度。
業界の成り立ちとか組織図とかよく知らん。すまんね。

よく、新日本プロレスの選手はエリートといわれています。
受験で例えると<東京大学>といわれているのを聴いたことがあります。
選ばれたエリートが集う団体。

その観点でいえば、
今のDDTは<東京藝大>なんじゃないかなと思います。
枠を枠と思っていない(人が多いような気がする)し
壊すために枠はある(と代表が思っていると思う)。
既存の価値観にとらわれず、多種多様の個性を各々が発揮して
時代を動かしていく。

多くのインディと呼ばれる方々は
メジャーを目指して活動をしていると思うのですが(あくまでも当社比)
髙木さんは多くの「業界の常識」ではないところで闘ってきた。
のかな? と思います。

エンタメ業界は
多くの人に知られることで、できることも増えてくる。
知られることは大事だし、知られることによってできることも多い。
でも、知られることにより、認知のすそ野が広がって
いいたいことがいえなくなったり、尖ったことがやりにくくなる。

DDTは多くの人に知られても
尖ったことをやり続けてきた団体だと思います。
見えないところでたくさん問題はあったのだろうと思うけれど
団体の軸になる思いの部分は変わらず、世の中の流れに合わせて
動き方は変えてきた。
節電で、模造紙に対戦カードを書いて
それを選手がラウンドガールのように持って歩く団体が
かつてあっただろうか?

メジャーだからできることはたくさんあるだろうけれど
インディだからできることもたくさんある。

ある時から、経営サイドに力を入れるため
髙木さんはリングに姿を出すことが少なくなりましたが
そのときの重圧って、
多くの人には耐えられないものだったんじゃないかな?
と思います。

髙木さんの中にある
コアな部分がゆるぎないものだから堪えられたのかな?
その部分に共鳴した多くの選手が所属して大きくなった団体。

個性豊かな選手がギッチギチに所属している団体の代表が
選手として無期限休業して経営サイドに舵を切る。
動けるうちは選手として活動したいんじゃないかな? と思うし
経営サイドに選任するって考えは
髙木さんにとってもかなり大きなことだと思うのですが
組織が大きくなったからこそ起こるであろう問題を
まとめる立場の人間が髙木さんなら大丈夫。
と素人BBAが勝手に思っているんだけなんですが
髙木さんの意志や意義は、若い選手まで伝わっているから大丈夫。
時はきたって感じでしょうか。

「俺はな、経営のストレスを試合で発散してるんだ!」と
いいながら、DDT号で会場を走り回っている姿が見られなくなるってことは
ストレス発散はどうするんだろう… とか心配しちゃうけど。

DDTが大きく変わったこの15年を見せていただき
同じ時代を生きることができてとても幸せです。

テンチョーと髙木さんを重ねてみてきた私としては
先を走ってくださっている方が目の前からいなくなってしまうことが
悲しいけれども
一つの時代の区切りをつけるために必要なことだったのかなと
思うことにしました。

自分自身も、占いだけにとどまらず新しいことをやろう! と
行動を起こしている最中なので、世の中は
次のフェーズに向かう転換期なのかもしれません。
新しい時代も楽しくありたい。

一つの時代に区切りをつける。
こういう大きな転換期に生きていることがうれしいです。

****************

なんかね、髙木さんが男色先生や坂井さんと話をしているときの顔って
ホッとしているというか、安心している感じがするんです。
信頼してるっていうか。そういう間柄がいいなと思う。

髙木さん=才人
坂井さん=奇才
男色先生=天才
なんじゃないかなといつも思っています。

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私は占い師なのですが、師であるテンチョーは
占いの館の概念をぶっ壊しました。
・所属して鑑定をしていればほかの雑務は誰かがしてくれる
・トラブルはお店の人が対応してくれる
・予約や集金もお店の人が対応してくれる
など、多くの館(占いの館)は鑑定だけしてればいいのです。

テンチョーのお店(中野トナカイ・占いトナカイ)は
電話番から予約管理、集金、トラブル対応、イベント企画立案
そして
「このお店は個人事業主として活躍するための練習の場である」と
いいきった。
練習の場なので
さまざまなことを自分でする必要がありました。

占いの店に所属したり、多店舗の話を聞くことも多いのですが
今だ、この手のお店があるって聞いたことがない。

これって、最初のお店を開店した当時
テンチョーはDDTに多大なる影響を受けていた時期と重なります。
DDT代表(高木さん)の影響をかなり受けていた。
なので、
「枠は提供した。あとは自由にやるがよい。相談も時々なら受ける」
的なスタイル。

髙木さんの影響はプロレス業界だけにとどまらず
占い業界にも影響を与えていた。
とご本人に伝えたいところです。(伝える方法ないけど)

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