[小説]  第二節 桜回廊  [Traveling!〜旅するアイドル]


 中旬に差し掛かる時に、花見シーズンはやってきた。この辺りは全国と比べて遅いほうで、すでに関東では枝に緑が生い茂っていると姉たちが言っていた。

「今日は私に案内させてください」

 出発の前日に、ミソラは二人に言った。場所は兄が見つけた隠れ家的な場所にあり、スマホのマップアプリを使わず、地図とコンパスで向かう方式をとった。目的地まで辿り着くまでの道中を楽しみたいという、いまどきの人らしくない思考にミソラも心を踊らせた。持っていく弁当は前日に仕込んだ様々な食材を使い、早朝から準備に走った。姉から料理の手ほどきは受けていて、ある程度のレパートリーは習得している。花見場所で盛大に振る舞う予定だ。

 一山超えることになるので、登山届をネットで手続きをすませる。登山装備もお互いに確認しあい、準備は万端だ。

「ミソラ、無理しなくても良いんだぞ」

「いいんです。少し無理するくらいが、成長できるんですから」

 実感として持っていた。曲作りも集中が高まるほどにとつぜん天啓が降りてくるものだ。わからない問題を解くには、知識を得て、何度も試してみるにつきる。
 ザックを背負い、標高1500M程度の裏山へ三人は向かった。登山コースなんてものない。山というのは、舗装されていない道が常だ。ここは観光地でもなければ、有名な山でもない。
 生い茂った草をかき分け、凸凹の地面をゆっくりと進む。

「やっぱり、登山ってこうじゃないとね」

「俺は舗装した道を歩きたいよ」

 姉と兄の好みは見事に違う。姉は普段は自然に触れていることが多いのか、ありままの状態や世界を好む性質がある。兄はものづくりをしている性質で、人工的な物を好むようだ。

 華奢な体で健康的な食生活をする姉と、筋肉隆々な肉付きでジャンクフードなども好む兄の二人は、とても同い年の姉兄とは思えない。
 二人に血の繋がりはない。両親の連れ子同士の姉兄どうしだ。その両親の間から生まれたのがミソラだった。

 しかしミソラを生んですぐ、交通事故でなくなったらしい。死後の遺産を使い二人は様々な経験を得て、若くして宗蓮寺グループのトップの座についた。グループの方針を決めるのは姉の役割で、経営は兄が担当している。

 ミソラにとって姉と兄は親代わりだ。実の両親の顔を知らずに育ったが、何不自由なく生きてこられたのは、二人の人間性に寄るものだ。基本的にはミソラに甘く、ひどく溺愛している。好きにならない理由がない。
 山の中腹あたりで休憩しているときに、兄が言った。

「ミソラ、例えばの話だけどな。俺たちが突然何年も仕事で家を離れたときは、どのように考えているんだ」

 水分補給中だったので、驚いてむせてしまう。姉はたしなめる目つきで兄を見ていたが、彼はそのまま真面目な顔で続けた。

「俺も麗奈もまだ若いし、現役バリバリだ。いまはこうして悠々自適な生活を送っているが、もし誰かが困っていたら俺たちは家を離れないといけない。お金の方は安心だが、ミソラはほんとうの意味で一人でも暮らしていけるのか?」

 兄の真面目な顔に答えることができなかった。ミソラはうつむいて考える素振りをした。今の状況が変わることを拒否している。

「も、もちろん。お二人がやりたいことは、私の望むことでもあります。だから……大丈夫です」

 気丈に振る舞っていることを見破られていることだろう。兄は「そんなすぐにはならないさ」と前置きして続けた。

「あとはこのままミソラが「夢」や「目標」を持ってくれたらいいだんがな」

 兄が放ったある単語に、ミソラは頭の奥がかっと熱くなった。すぐに立ち上がって、リュックを背負い直した。

「夢や希望とかを歌った結果が今なんです。……二人とまた来年も花見ができれば、それで良いんです」

 そう決意するだけのことがあって、鋼のように固くした世界が広がっている。二度と「自分」を失わないためには、平穏を望み作り上げていくしかないのだと知った。

「頂上からは降りるだけです。桜、楽しみですね」

 そこから頂上まで数十分、ひと休憩を終えて下りの道を進む。不思議と足は前に進んだ。外の世界と比べれば、ここはまだ邸宅の敷地内にいるように感じたからかもしれない。

 兄は外の世界を出ることを望んでいるのだろうか。ならば自分だけが過ごして良い楽園を増やしていけばいい。歴史上の人物が侵略を起こしたのは、自由に歩きたいと願ったからかもと、想像を膨らませていく。

 時折、地図を眺めて自分たちの居所を確認していく。地図アプリを使わない原始的な登山なので、無駄話なく順調に進んでいった。比較的小さい山なら、方向だけを定めていけばいい。

 降りていくうちに、広い場所へ出た。緑と土の世界から、鮮やかな優しい色が滲んでいた。

「──素敵なところ」

 姉がまずつぶやいた。開けた視界から、桜の花びらが舞っている。つまり散っているのだが、それを補うくらいの桜の木が一定のエリア内で咲き誇っている。あえてたどり着いた場所を命名するなら、「桜回廊」とミソラは名を付ける。

「兄さん、ここどうやって見つけたの?」

「実は数ヶ月前に散歩してたら見つけたんだ。二月とかそのあたりだ」

「あらあなた、仮にも冬の山なのに散歩なんてしてたんだ。……ああ、一度帰りが遅い時があったけど、あれってつまり」

「はは、バレたか。こればかりは流石にまいったよ。スマホだけは持っていたんでな、方位磁石表示できるアプリでなんとか帰れた」

 二月に一度、兄が登山したまま夜遅くまで帰ってこないことがあった。心配したミソラたちは警察と消防に連絡をかけようとする事態になった。幸いというべきか、兄は翌日の深夜に帰宅したので、姉の説教で済んだ。

 工作といい、登山といい、兄は他人に心配をかけることだけは一流だ。年に一回は、必ず洒落にならない事を起こす。そのたびに、ミソラたちはたしめているのだが、聞く耳をもたないのは言うまでもない。

「人の手がはいった感じはないわね」

 姉の言う通り自然の木々も不規則に立っているが、それが逆にありのままの雄大さを演出している。広場で花開く桜は違う。
 だがその広場には桜の木しかなく、逆に不自然感じる。いつかは分からないが、誰かがこの場所に桜の木を植えたのだろう。気の遠くなる時間をかけて育ったものなら、自然といえるだろう。

「秘境か。俺、冒険家の才能あるかもな」

「馬鹿、次迷子になったら本当に知りませんからね」

 兄は姉の尻に敷かれている。たまにこんなやり取りがあると、夫婦に思えてしまうことがある。どこまでいっても、仲のいい姉兄だ。

「ふたりとも、言い合いはそこまでに。満開の桜が私たちを歓迎していますよ」

 春日和とはまさにこのことだ。薄桃色の花びらがふわりと舞い、一つの空気として溶け込んでいる。桜の木はざっと見た感じでは三十以上はありそうだ。よく観光名所にならかったと唸らず負えない。

 三人は比較的雑草の少ないところでレジャーシートを敷き、ランチボックスや飲み物をならべた。ミソラお手製のサンドイッチに、酢豚などの炒めもの。ジャンクフード好きの兄にハンバーガーを用意した。

「ミソラの料理、久々だわ。ずっと料理してなかったけど、味はいかがかしら」
 と言って、ランチボックの端からつまんでいく。一口、また一口と次々と運んでいった。

「あ、ずるいぞっ。じゃあいただくなミソラ」
 兄も負けじとサンドイッチをつまむ。ミソラは二人の美味しいと反応するより、嬉しい。ふと花びらがランチボックスの上に落ちた。見上げれば桜の彩りだけが広がっていた。正直、目に悪い感じがしてめまいがする。桜に酔うとはこのとことだろう。

 弁当の中身が食いつぶされるまでそう時間はかからなかった。ミソラは自分の分を確保することで精一杯だったが、腹を満たせた満足感に酔いしれている。いまはお茶を飲みながら。それぞれ景色を堪能していた。

「ここ、誰にも知られずに私達だけのものにしちゃいたいわ」

「実はここは天国だったりしてな。山登りの最中に災難にあっちまった。そのまま俺たちは、こんな長閑な場所で飯を食ってるわけだ」

「不謹慎、っていいたいところだけど、同意するわ。どこかの場所で、誰かが悪事を働いても、ここは平和だもの」

 姉のこぼした言葉に、結局の所、ここは現実の一つでしかない。もしミソラに災難が降り掛かったとき、ミソラは自身を守り切ることができるだろうか。
 そう何度も考えては、いつもの甘い言葉を指針に置いておく。
 ──何かあれば、姉さんと兄さんが守ってくれる。
 しかし、日常が急変したのは帰宅して間もなくだった。

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