【小説】Traveling! 〜旅するアイドル〜| プロローグ 喪失から見た景色
ステージ裏というのは、演者と観客の隔てている境界とはまた違った趣きがある。演者の放つ音に人々が歓声や拍手で返していくさまを、客観的に捉えることができるからだ。ステージに立つ演者はどれも高水準だった。
「なんでここにいるのかしら、私」
少女は出番を待っていた。テーブルの縁と淡いピンク色のスカートから伸びる露出した足だけが視界を占める。他のものを目に入れようとも思えない。
出演者は人を楽しませる能力を持つ。それが最低条件だ。半端な気持ちでステージに断つことなど、きっと誰も許してはくれない。少女はパフォーマンスより大事なことをがあった。いまも棘の刺さった思いで俯き、唇を引き締めていた。
あとどれぐらいだろう。淡いピンクを基調としたフリフリの衣装を着たはいいがが、ステージに立つだけしか役割を持たない。スカートの裾をぎゅっと握りしめていると、頭の上から声が聞こえた。
「あの、体調のほう優れないのでしょうか??」
顔をあげると黄色いTシャツに「ウォークビナ」と黒い文字で印字がみえた。今回のイベントのスタッフだとわかる。少女は心配そうな眼差しの女性に絞り出すように微笑んだ。
「大丈夫です。トリを任されたので、少し緊張しているだけです」
少女は先程から椅子に座り、外界の情報をなるべく取り入れないように努めていた。それが心配になるほどに追い詰められていたように映ったのだろう。スタッフはジーンズの後ろポケットから、イベントのプログラムを一瞥し、納得のリアクションを取った。
「はい、聞いてます。たしか大トリのアイドルが辞退されてしまった代わりの出演ですね」
イベントプログラムを凝視して、スタッフの女性はたどたどしい口調で少女の名前をなぞった。同情めいた表情が徐々に変わっていった。
「宗蓮寺《そうれんじ》……ミソラ……。えっとこの宗蓮寺って、本当にこの名字であってますよね?」
調子が下がっていく言葉にミソラは内心でやっぱりと思う。日本に住むものなら「宗蓮寺」という単語に無条件で反応してしまう。ある種の畏怖を抱いてしまうのも仕方ない。ミソラは事実を穏やかに説明した。
「関係者ではあります。ですが、このステージとは関係ありません」
すると女性スタッフは戸惑いがちに「そうなんですか」と言ってから、次の準備があるからとその場を離れていった。
「別に、どうもしないのに」
ミソラ自体に「宗蓮寺」の名を使った直接的な行為ができる力はない。姉と兄なら可能だろうが、二人が私心の為に降るとは考えにくいが。
姉と兄。ミソラにはたった二人の家族がいた。いたのだ。
「……姉さん、兄さん……」
あれから一週間しか経っていない。ひょんなことから、なんて片付けられないほどに、このステージに立つ経緯は劇的な物事の連続だった。ミソラは命の危機に陥り、それをある一団が救った。ステージに立つことになった経緯も、パフォーマンスを披露して観客を魅了して欲しいなどという軟な理由ではなかった。むしろ危険が伴うと警告を受けたぐらいだ。それでもミソラは前へ進むしかなかった。家も、家族も、そして自分自身でさえ失ってしまったのだから。
「宗蓮寺ミソラさん、スタンバイお願いします」
スタッフから呼び出しを受ける。
ここでステージ裏から逃亡することもできる。だがそんなことも織り込み済みだと、直感が囁いている。
それに逃げても仕方ないときもあるのだと、彼女たちに教えてもらった。いまはあの二人に免じて、ステージに立つことを優先しよう。
マイクを右手に持ち、袖から見える景色に懐かしさを覚える。不思議と、ここ一週間の激動の日々を置き去りにできるような気がした。
調子の上げたアナウンスがはじまった。
「それでは最後の演目です。急遽、出演することになった期待の新星アイドル──宗蓮寺ミソラの登場です!」
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