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会計士から家業の豆屋へ!その理由とは?!

世界的に見ても日本は老舗企業が多いことをご存知だろうか。
新陳代謝が早い米国企業に対して、長く持続可能な経営をしている日本企業とも言えるのではないか。

2019 年中に業歴 100 年となる企業を含めた「老舗企業」は日本全国で 3 万 3259 社にのぼる。

そして再来年、私の実家が経営する企業、”有馬芳香堂”がこの「老舗100年企業」の仲間入りをさせていただく予定である。

正直に言えば、私は昔から日本の地味なイメージの企業よりも、米国の企業の方に関心が強かった。

今、僕たちが毎日当たり前のように使っているパソコン、携帯、ソーシャルメディア、ITシステム、その多くが米国企業である。世界の会社の時価総額Top10を並べた時に、かつては日本企業も世界の企業と肩を並べていたが今は米国企業が上位を占めている。

これは米国の利益に対するコミットメント、株主からの強い要求、馴れ合いではないプロの外部経営者により社外取締役としてチェック機能などなど、会社を強く大きくしていく上で必要な体制を整えていった結果と考えていた。

そんな”強い”会社に興味を持った自分は、公認会計士を志し猛勉強の末、何とか大学卒業と同時に試験に合格することができた。そして親元の神戸を離れ上京した。

公認会計士として、大手監査法人で10年間の修行。
上場企業の会計監査からスタートした。”強い”企業とは何かを、実際の実務や経営者との議論を多くさせていただく中で自分なりに捉えようとした。

目まぐるしく進化するテクノロジー、それを捉えながら、多様化する人々のニーズに答えるような商品開発やマーケティング、利益という形で四半期ごとに結果に答えていく。それに答えた企業は企業価値が向上し、それに答えられない企業は市場から退場していく。

会計士になって10年を迎えようとした頃、”強い”企業を追いかけていた自分なりの価値観が解像度高く見えてきた。自分にとっての”強い”企業は、決して単に短期的な利益を出し続けるだけの組織ではなかった。たとえ市場で評価されたとしても、その終わりなき戦いが体力が力尽きるまで続いていく。そんなことを自分がやりたいわけではない。


この頃から、日本企業の長く続く年輪経営の魅力がじわじわとわかるようになってきた。
無理に拡大させることもせず、短期的な利益に振り回されることなく、地域に根ざし、地域住民と従業員と消費者と多くの関与してくれる人を想いながらみんなでその価値を共有していく。

そして、今までの行ってきた経験知識が、全て『家業のため』、今後も魅力ある企業として続けていくためだ、と点と点が線に繋がり、新たな100年を切り開くべく家業へ戻ることを決断した。

大手監査法人で過ごした10年は多くの経営者の方々とのディスカッション、非常にエキサイティングだったし、自由に仕事をさせてくれた会社には”感謝”しかない。

■家業への思い
ではなぜ、そんな自分が家業への思いが強くなったのか、田舎の豆屋になることにしたのか。

話は過去に遡る。

創業したひいおばあちゃんの話を父から聞いたことがある。
なぜ”豆”なのか。おばあちゃんは
”当時はみんな生活が苦しかったんだよ。近所で、町ぐるみで助け合いが大切じゃったんじゃ。豆だと、ほれ。日持ちするじゃろ。持ち運べるじゃろ。そして、みんなで分け合いながら食べれるじゃろ。どんなに苦しくても、豆持ってったら、皆で一緒に笑顔になれる、豆は凄いんじゃよ。”

ひいおばあちゃんのこの一言が自分の心の中にある、優しいキモチに響いたのを覚えている。その時みんなの笑顔を作るのが豆だった。豆屋をどうしてもやりたかったと言うことでは無く、あくまでも手段。皆を笑顔にするために何が必要かをおばあちゃんは必死に考えた、そして豆を作り、配り、改良を重ね、そしてもうすぐ100年が経とうとする。

そしてもう一つ、スーパーで家業の商品が並んでいると、輝いて見え、嬉しい気持ちになる。自分と同じ名前が書かれた商品、自分が作っていないにも関わらず輝いて見える。言い表すことが難しいこの不思議な気持ち。

話は少し変わるが、トヨタの豊田章男社長が2010年にリコール問題で米下院の公聴会で謝罪会見を行った際に言った一言

『~ご存知のように私は創業者の孫であり、すべてのトヨタ車に私の名前がついています。私にとって車が傷つくことは私自身が傷つくことです。』

会社の規模は全く違う、でもこのフレーズが僕の心に響いた、今でも忘れることが出来ない一言。

■会計士として見た家業
社会に出て、会計士という立場から多くの大企業の事業や新しいベンチャー企業も見てきた。
昨今のベンチャー活況において、凄いスピードで企業価値をあげる会社も多く見てきた。
豆屋は100年続いてもユニコーンにはなっていない。AIやIoTを使ってマーケットをディスラプトすることもしない。ただこれからは、そういった変化しない企業達は生き残ることが難しくなっていくだろう。
それでも地域に根を張り、地面に足をつけながら、愚直に創業時のおばあちゃんの”想い”を受け継ぎながら、時代に合う商品を日々考え作り続けている家業を心から誇らしいと思っている。

これが東京で大手監査法人を辞めて、神戸で豆屋を支える、自分の選択。
家業を継ぐということ。決して生半可に考えた結論ではなく、精一杯生きて初めて見えた世界、感じた想い。

そして感謝の気持ちを忘れず前へ進んでいこう。
そして地域に根差した取り組みを進めていこう。

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