牛すじ肉を買いに行ったら死にかけた話。
昨日のメキシコ戦の劇的勝利の勢いそのままに、スター軍団のアメリカを下し、14年ぶり悲願の優勝を果たした侍ジャパン。もちろん全試合リアルタイムで観ていて、本当に胸が熱くなった。
改めて優勝のシーンが観れて、生きててよかった、なんて大げさに聞こえるけれど、実は文字通りの体験をした話を自戒の意味も含めてしようと思う。
昨日メキシコ戦が終わり、感動した気持ちのまま最近ハマっている自炊のメニューを考えながら食材を買いに自転車を漕いでいた。
外は天気も良く、上着を羽織ったことを後悔するほど気温も高かった。
自転車を漕ぎながら、メインは炊き込みご飯にして、鶏肉で主菜を作り、簡単にサラダや汁物を作ったり、圧力鍋も使いたかったので牛すじ煮込みを作れば数日はもつかなーなんて思いつつ、かなり食材を買い込んだ。
ただ、牛すじ肉だけいいのがなかったので、業務スーパーに行ってみようと思い、一度帰宅して他の食材を置き、身軽になってからまた自転車を漕ごうと考えた。
他の買い物をしたりもしていたので、時刻は16時30分ごろ。日が落ち始めるその時間はまだ明るかったものの、いつの間にか風は少し冷たく、上着なしでは少し肌寒い気温になっていた。
とはいえ、自転車で片道15分程度の近所だったので早く行って早く帰ってくればいいか、と財布とスマートフォン、家のカギだけ持って、上着は置いて家を出た。
大きい通りに出て、国道に沿っていくかたちで業務スーパーに向かう。普通に自転車を漕いで、残り5分くらいでお店に到着するあたりで、突然呼吸が苦しくなった。
マスクをしながらだし、それまでもおよそ2時間弱漕いでいたので疲れたのかと思い、一旦歩道に自転車を停めて息を整えようとした。だが、一向に息をうまく吸えない。
まるで全力でダッシュをした直後のように、いくら空気を吸っても足りないあの感覚。それなのに、酸素を求めて深呼吸をすると、これ以上入らないと拒絶されるようでうまく空気が吸い込めない。こんな感覚は初めてだった。とりあえず、歩道の入口に立っていたガードレールに腰かけた。そこでゆっくり深呼吸をするがやはりうまく吸えずに、だんだん呼吸が短く、荒いものに変わっていく。
下を向くと気道が詰まるようでさらに息苦しくなるし、とはいえ上を向くとそれもそれで酸素を吸いにくい。
「あれ、呼吸ってこんなに難しかったっけ?」と思うほど、いつも当たり前にやっていることができなくなっていた。
次第に胸が痛みなのか苦しさなのかわからない、ギューッとした感覚で支配される。あまりにも初めてだったので思わずスマートフォンで症状について調べる。
出てくるのは心筋梗塞や狭心症、命の危険、迅速な対応が…など、
体調不良の時に見たくないワードばかり並んでいて気が狂うかと思った。
5~10分くらいガードレールに腰掛けたり、停めた自転車に体重を預ける体制でいたが一向に良くならず、ずっと呼吸の仕方は忘れていた。
「さすがに帰ろう、帰って横になれば良くなるはず」と思い、立ち上がった瞬間、世界が暗転した。
似ていたのは、アルコールがダメなのにも関わらず20歳になってすぐ彼女とお酒を飲んで、急性アルコール中毒気味になった時の症状。
視界が真っ白になって意識が薄くなっていく。ふわふわした感覚になり、あっという間に全身から血の気が引いていく。スマートフォンを持っていた指先はほとんど感覚がなく、周りの音もまるで水中のように遠く聞こえていた。
「さすがにやばい」
シャレにならないほどの酩酊状態に似た思考のできない脳内と、感覚のない指先を動かして119番を押す。
「火事ですか、救急ですか」「どうなさいましたか」「近くに目印になるものはありますか」「電話されているのはどなたですか」などいろいろな質問があったが、朦朧とする意識の中でもきちんと受け答えはできていたと思う。人前でスピーチをする時に原稿を用意しなくてもなんとなくで喋れていた経験が多少生きた……のかもしれない。
こうして人生で初めて自分のために救急車を呼び、そのまま病院に運び込まれることとなった。
車内では体温測定、心拍数の計測等々やりつつ、実家へ電話していたりした。まだまだ息は苦しかったが、見たところ異常のない心拍数を見て「死にはしないだろうな」と半分俯瞰したような視点で、半分は自分に言い聞かせるように繰り返していた。
そうして病院に運び込まれ、採血や心電図、CTなどいろいろと検査を受け、結果を待つことになった。ずっと意識だけはあって、最初は発声できているか不安だった言葉も、次第に自分の耳に届くようになっていた。
しばらくすると待機していた個室に先生がやってきたが、検査結果は一切異常なし、それどころか、あらゆる数値が全て正常値だったと伝えられた。
先生が言うには、運動不足か寒暖差によって心臓に負荷がかかり、一時的にショック状態になってしまったのではないかとのことだった。
そのまま帰宅許可が下りたので清算を済ませ、病院向かいのファミリーマートのイートインコーナーで温かいミルクティーを飲みつつ、実家から車をとばしてきてくれている親の到着を待った。
心臓に負担をかけないようにちびちび飲みつつ、もし死んでいたら二度と飲めなかったんだなあと感傷的になりながら、まだ胸に残る若干の違和感と不安に抗っていた。
のちのち調べてみると、先生からも少し話があったように、ヒートショック現象に近いことが起こっていたというのが自分の中の結論になった。
ヒートショック現象というと冬のお風呂場で起こる印象が強かったが、メカニズムとしては寒暖差が主な原因になるので、今回の要素を見てみると合点がいった。
比較的気温の高かった日中に上着を着て自転車を漕いでいたことによる発汗、汗を拭かずに「往復でもたった30分だったらいらないだろう」と、ここ最近の急な冷え込みを甘く見ていて上着を羽織らず身体を冷やしたこと、運動量的にはほぼ毎日自転車を漕いでいるので問題はなかったとは思うが、その日は直前にかなり坂の上り下りをしており、負担がかかっていたこと、そこに生活習慣の乱れなどの小さな要素が重なったのが原因だと考えている。
幸い、1週間ほど経ってからは違和感もなくなったので、以前から計画していた【社会人復帰前最後!夜行バスに乗って行く広島弾丸一人旅】は無事決行できた。
ここでも本当に楽しくて、人との繋がりの大切さ、人と会う良さを存分に感じられた旅になったので、その様子はまた忘れないうちに記事に残す予定だ。
あれから1週間が過ぎた現在も経過は良好で、結果的には大事に至らなかったからこそ笑い話にできてはいるが、本当にあの瞬間の自分は「死」を近くに感じたし、ヘタしたらもうこの世を去っていたのかもしれないという、嫌な【たられば】は頭にチラつく。
また、心配をかけてしまった身内にも申し訳なかったという思いはあるし、突然再発するかもしれないという恐怖もつきまとっているのが現状だ。
結果的には1日1日を後悔ないように大事に、そして自分自身のことも大切にして、一緒に生きていこうという意識が強くなったので大事な経験にはなったが、息苦しさや後悔、恐怖はもう二度と経験したくないほど、自分にとっては強烈な思い出になった。
ここまで読んでくださった皆様も、寒い時期や季節の変わり目は特に!
趣味に関係する物や仕事道具と同じくらい、もしくはそれ以上に自分自身の身体を過信せず、優しく扱ってあげてほしい。