最も愛した推しの解散が決まってから実行したこと
どうもarima.です。
はじめに
突然ですが、みなさんは「推しの解散」に遭ったことはありますか?
アイドルなら卒業したり芸能界から引退したり、スポーツ選手なら衰えて引退したり、箱推しならユニットが解散したり、推し事にはいつか終わりがあるものです。しかし、ある日突然推しがいなくなったり、「余命宣告」をうけたりと、そのタイミングはさまざまです。私の場合は後者でした。しかも突きつけられた余命は「3年」でした。余命宣告にしてはあまりにも長いんじゃないかなと思います。今回は解散までの2年間に考えたこと、やろうと思ったことについて書いていきます。
私の(かつての)推し・角居勝彦厩舎について
私にはかれこれ10年応援していた推しがいました。角居勝彦厩舎です。競馬との出会いや角居厩舎を応援し始めた理由などを書き始めるとキリがありませんが、2011年から2021年2月までの10年間、自分の中心には常に角居厩舎があり、生活の一部でした。所属馬が出走するレースを見るため、北海道・東北・中部・関西と何度遠征したか数え切れません。角居厩舎を応援していなければ、ここまでアクティブになることもなかったかもしれません。JRA調教師の定年は70歳で、角居勝彦調教師は1961年生まれなので、あと20年くらいは応援できるものと思っていました(もっとも海外で厩舎開業する可能性はあると思っていましたが)。
事態が急変したのは2018年の年明けでした。東西金杯デーのスポーツ紙一面がこちら。
角居勝彦調教師が家業を継ぐため、2021年2月末をもって厩舎を解散するという衝撃的なニュースでした。国内外問わず多くのGIレースを勝っている名門厩舎だけに、ファンのみならず競馬関係者にもショッキングなニュースでした。3年後の解散を発表したのは理由があって、競走馬はおおよそ2歳になると厩舎に入ってデビューに向けた本格的なトレーニングを開始するのですが、0歳のうちから預ける厩舎が決まっていることがあります。引き受けることが決まっている明け1歳をクラシックに送り出すまでは責任を持って担当するという意味での、3年後の解散でした。
角居厩舎解散までにやったこと
⒈精一杯応援する
厩舎解散を知ってから強く思ったのは、「悔いなく解散の瞬間を迎えられるようにしよう」ということでした。最も心がけたのは、勝てそうなGIレースは遠征含めて全て見に行くということです。それまでもそうしてきたつもりですが、気持ちを新たにより一層心がけるようにしました。角居厩舎のラストレースを現地で見届けることが最後の目標でしたが、昨今の新型コロナウィルスの影響で無観客開催となり、最後のレースを見届けることも、角居調教師に感謝とねぎらいの声をかけることも叶いませんでした。心残りといえば心残りですが、やれることは全てやり切ったという気持ちです。
⒉次の推しを見つける
推しがいなくなると心にぽっかりと穴が開きます。推しで開いた穴は推しでしか埋められません。なので次の推しを見つけましょう。
でも、これが一番難しいですよね。さっさと次の推しが見つけられたら苦労しません。誰かに言われてやることでも、見つけようと思って見つかるものでもないですからね。でも見つけやすくすることはできると思います。
⒊色んなところに行ってみる
私はもともと多趣味で、色んなスポーツを見に行ったり色んなところに行きましたが、視野を広くしてみるということが最も重要かもしれません。それだけでも気が紛れるし、新しい推しが見つかる可能性も高まります。ちなみに私の今の推しはアースフレンズ東京ZのチアリーダーZgirlsのMikuさんです。
Bリーグの試合をよく見に行っていたのですが、TwitterのタイムラインでMikuさんの写真を見かけてビビッときて、実際に現地で見かけてすっかり魅了されました。角居厩舎が解散することで、趣味の一つであった写真撮影を機材売却含め大幅に縮小する予定だったのですが、今ではMikuさん始めBリーグのチアリーダーを撮るために新しいボディやレンズを買っていると言っても過言ではありません。カメラマンとしての自分をもう一度呼び起こしてくれて感謝しかありません。
コロナで先が見えない中、一年一年が勝負になりますが、いつ「その時」が来ても悔いなく終われるように、これからも精一杯推していこうと思います。