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ブルーインパルスの都心飛行で感じたレッドブル・エアレース日本開催の意味
どうも、arima.です。
はじめに
もう1ヶ月以上前になりますが、航空自衛隊のブルーインパルスが医療従事者への経緯と感謝を示すためのフライトを都心で行いました。あいにくその日はテレワークで直接見ることはできませんでしたが、多くの反響を呼んだことは記憶に新しいところです。
その知らせを聞いたときに私が思い出したのは、かつて日本でも行われていたレッドブル・エアレース、そして日本人パイロット室屋義秀さんのことでした。
レッドブル・エアレースとは
レッドブル・エアレース(正式名称:Red Bull Air Race World Championship)は2003年~2019年まで行われていた曲芸飛行パイロットによるエアレースです。エアレースといっても大勢の飛行機が一斉に飛ぶわけではなく、1機ずつコースを飛行してタイムを競う方式です。空気圧によって自立した2つのパイロンの間を通過していきます。パイロンは機体が接触すると破れ、機体にダメージが行かないようになっています。
F1のように世界各地を転戦し、日本では千葉県千葉市のZOZOマリンスタジアムの裏の海岸沿いで開催されていました。唯一のアジア・日本人パイロットの室屋義秀さんは、地元日本での優勝はもちろん総合優勝も勝ち取っています。
レッドブル・エアレースは平和の祭典だった
8月15日は終戦記念日です。太平洋戦争では戦闘機が空を駆け巡り、日本では零戦が開発され、戦争末期には神風特攻隊が組織されました。敗戦国となった日本は、航空機を作る技術を奪われました。
悲劇を生み出し、翼を奪われた日本で、あのときと同じ小型飛行機が、殺し合いではなくレースで国を背負って戦っていたのです。そして日本で行われた最後のレッドブル・エアレースで優勝したのは、日本人パイロット室屋義秀さんでした。
室屋義秀さんは今
最近室屋義秀さんの名前を聞いた方も多いと思います。うつむきがちな状況の中で、空を見上げて元気になってもらおうと、空にスマイルマークを描く飛行を地元福島で行ったことでニュースになりました。
この他にも将来のパイロット育成のためのプログラムを立ち上げたり、小学生向けの航空教室の講師をしたりと、次世代の育成に尽力されています。
おわりに
レッドブル・エアレースが日本で開催されていたことは、日本にとって非常に大きな意味を持っていたと思います。レッドブル・エアレースを観戦したときほど「平和」を感じたことはありません。都心をブルーインパルスが飛行したことも、同じくらい大きな意味を持っていたことでしょう。
世界は平穏を取り戻せず、ネガティブな話題ばかりでうつむきがちな毎日ですが、たまには顔を上げて空を見てみませんか。