包丁を研ぐはなし

今朝包丁を研ぎながら、ふとこんなことを考えた。

自分が欲しいのがよく研げた包丁なのだとしたら、この包丁は研ぎ師に出したほうがいい。ピカピカで、トマトなんかもスッと切れるような包丁になって返ってくるだろう。しかし、自分は研ぐ手を止めなかった。決して上手とは言えない手付きだが、あらゆることを忘れて、包丁を研ぐという行為だけに集中する。

「手段の目的化」というのは、ことビジネスの場において、多くの場合よろしくないこととして扱われる。結果を得るために存在するのが手段であり、結果そっちのけで手段を重視してしまっては、あらゆることがうまく回らなくなってしまうのだろう。

21世紀は、人類があらゆる手段の効率化を目指す時代だ。インターネットがその速度を格段に速め、ブロックチェーンの登場は、さらなる時代の前進を予感させる。結果を最速で得るために、手段は徹底的に効率化、高速化されていくのがいまの時代のメインストリームだ。

さて、自分は旅行の会社をやっていて、『ズボラ旅 by こころから』というサービスを運営している。LINEでスタッフに相談することで、旅行の計画から予約までが完結する。旅行の計画という、旅行にいくための手段を他者と共有することで効率化し、旅行にいく、という結果にかんたんに到達してもらうためのサービスだ。

時代を捉えているという自負もあるこのサービス、しばしばメディアにも取り上げていただくのだが、そのたびに批判をいただく。「計画するのが旅行の醍醐味じゃないか」といった内容だ。自分も旅行の計画が大好きな人間なのでとてもよくわかるし、なんの異論もない。しかし、そんな自分は大好きな「計画」を効率化するためのサービスをやっている。温かみを残すためにあえて人の手を介すサービスにしているとはいえ、それは事実だ。

旅行は、結果の定義が極めてあいまいだ。目的地にたどり着くのを旅行の結果としてしまっては、さすがに暴論にもほどがあるだろう。旅行にいくための手段は一人ひとり違っているが、自分が志すのは、旅行という一連の行為を可能な限り多くの人に楽しんでもらうことだ。計画の効率化は、そのための取っ掛かりに過ぎない。まずは、計画が面倒ゆえになかなか旅行にいけない人に、旅行の素晴らしさを味わってほしいと考えた。

効率化を目指す人類は、その一方で、結果のための手段に価値を見出すという大いなる矛盾を孕んでいる。「本は紙じゃないと読んだ気がしない」「休日は日がなキッチンに立って塊の肉を煮込む」「旅行は計画している時間こそが醍醐味」どれも矛盾だ。いくら高速で社会が動いても、人類は手段を愛してしまう。極論だが、誰にでも必ず訪れる死を結果とするなら、生きている時間こそ手段にほかならない。手段の目的化を完全に否定してしまうのは、人間の生きるという行為すらも否定することになりかねないのだ。だから、自分の愛している手段が極度に効率化された状態に対しては、アレルギー反応が起きる。これは人類の根幹にプログラムされた、生き続けるための手段なのかもしれない。

いま、自分は『ズボラ旅 by こころから』以外にも、もうひとつサービスをつくっている。インターネットでサービスを展開する以上は、その強みを生かして何かを効率化するのが定石だ。効率化されたパーツがあるということは、見かたを変えれば、効率化されなかったパーツをより純粋に楽しめるようになったということ。どのパーツを楽しんでもらいたいかを常に主題として捉え、そのために効率化すべき部分を見つけていく。自分には、そんなサービスづくりが向いているのだと思う。

自分はよく研がれた包丁よりも、包丁を研いでいる時間を愛したいと感じた。包丁は迷わず研ぎ師に出す人も、キャベツは千切りを買うのではなく自分で刻んだりするのだろう。人にはそれぞれ愛している手段があり、同じ結果にたどり着くとしても、たどり着き方は一人ひとり違う。効率化ゆえに結果にばかり目が行きがちなこれからの時代、大事なのは、自分の選んだ手段を愛し、他人にもまた愛する手段があるのだと理解することではないだろうか。

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