6年経って気が付いた本音
6年前
お世話になっていた
上司が転勤になった
その時は
「え〜寂しいー!」
て
連呼してた気がする
そして
大変お世話になったので
最後まで気持ちよく 楽しくいて欲しいと
送別会も
どうしたら喜んでもらえるか
楽しんでもらえるか
ひっきりなしに考えて行動して
主催
てのもあるけど
送別会は私自身は
最後の時間を楽しむ。というより
ひたすら気を張ってた気がする
実際
先輩は
辞められる前後は
引き継ぎや、各署への挨拶
移動してからは
そこでの現場に慣れること
部下の個々人の把握など
色々大変だろう
という自然な配慮から
あまり
声かけず
心配もかけないように
連絡をこちらからは
しなかった気がする
でも
本当は
寂しかった
冗談ぽくでも
「移動しないでくださいよ〜
寂しいですよ〜
嫌だ〜
嫌だー」
と
泣きじゃくりたかったのだ
と
6年経って気が付いた
何故なら
私の人生で
私に「成長」を促してくれてる
と感じた
最初の人だから
仕事の面だけでなく
人としても
さりげなく
成長を促してくれていた
それが
暖かかった
嬉しかった
応えたい。そんな想いが沢山だった
恐らく
親から
人生生きていくために
人としての成長を
促された経験が無い私には
初めての
見守ってくれ
促してくれ
サポートしてくれ
諭してくれる
そんな
親のような人だったからだと思う
その当時は
気付かなかったけど
私にとって
とても大切な
人だった
今でも尊敬してやまない
そんな人が
離れてしまう
自分から
離れてしまう
これほど
心細くて
悲しいことは
きっとなかったろう
そんな気持ちに当時は
全く
気付かなかった。
それが
何故か
先日ふと
そのことに
気が付いた
それはきっと
自分のことを
寄り添って
一緒に歩いて自分で成長させてあげたい
そんな風に思ったから
でも
やり方がわからなくて
できない自分に
腹たって
つい責めてしまう
理想から
程遠い自分を
どうしても受け入れられない
そんなことしてるうちに
快不快
感覚がなくなってきてしまったり
自分のために熟考すべきことが
出来ない
そんなふうになってしまったから
一緒に歩いて
様子を見ながら
見守りながら
成長を促せる
人でありたい
先輩のように