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平野泰子 Sign@三越日本橋本店に行った話
2025/1/22 (水) ~ 2025/2/3 (月)の期間で三越日本橋本店 アートギャラリーにて開催されている平野泰子 氏の展覧会「Sign」に足を運びました。
その中で見たもの・感じたものを書きたいと思います。
平野泰子 Sign
三越に入ることから体験は始まっている
日銀通り側から三越に向かうと、数台の高級車が車寄せに停車していました。
都内にいると高級車を目にする機会は少なくないですが、三越前に停車するそれは一層存在感を放っていました。周囲にいる人々の佇まい、入口から少し見える店内の雰囲気と相まって、そう見えたのだと思います。
少し場違い感を覚えながら、なんとかその場にふさわしくあろうと背筋を伸ばして堂々と入店しました。
高級ブランド店が並ぶ店内を進む中、徐々にこれからアートに臨む緊張感というか、非日常な何かを感じました。
風景画としての平野氏の作品
展示会に向かう当日の朝、事前に平野氏や平野氏の作品について調べていました。
風景画を描くという平野氏の作品を展示会のHPで最初に見た時、「これは本当に風景なのか」と率直に疑問に思いました。
黒い背景の中に白やその他の色の線や点が点在している。文字で書くと味気のないそれを風景画として認識するには、自分には難しいかもしれない、そう思いながら展示会に向かいました。
会場に着くと、入口に平野氏が作品に込める想いが記載されていました。
私の作品は、風景を通じて私たちの視点や記憶について考察しています。
制作の最初の手順として黄、赤、青の絵の具を幾層にも塗り重ねて行きます。 それは視覚的な風景以上の深さと空間を表現するためです。
ここでの風景とは、日常的に目にする空や木々、夜の闇、そして私の幼少期を過ごした富山の山々など、身体的に感じ、蓄積した、あるいは潜在的な風景を指しています。
三原色を塗り重ねて行く過程で生じる絵の具のムラや、グレースケールの空間は、作品が完成していく過程で呼びかけられているような感覚を感じさせることがあります。最終的なイメージだけでなく、絵を描くという行為そのものにも重きを置き、注視することで、「不確かさ」や見えないけれど 感じる「気配」のようなものにアクセスします。
最後に乗せる筆跡や形は、時間の経過や私たちの知覚の一時性を示すような印のようであり、考察するよう促します。
「知覚の一時性」とは、描くことで過去の特定の瞬間が蘇り、その瞬間に再び想いを馳せることを意味しています。
絵を描くことで、過去の瞬間を再体験し、その時の感情や記憶に触れることができると考えています。
私の作品は、層と表面の関係においても特徴を持っています。作品の支持体に関しては、描画方法の変化とともに、平坦さが重要になりました。 以前は木枠にキャンバスを張ったものに描いていましたが、キャンバスの布目を消すために、自作のジェッソを用い、乾燥後に研磨する工程を施し ています。この方法で作った支持体に塗り重ねた絵具は、生乾きのまま塗られるため、層でありながら平坦な表面を保っています。
「絵を描くことで、過去の瞬間を再び体験し、その時の感情や記憶に触れることができる」と言いましたが、私は潜在的な体験を作品に込めようとし ています。それが、見る人にとって鏡のような作品であることを願っています。
三原色を重ねる「作業※」の中で、偶然に生まれたグレーベースの空間が過去の潜在経験を呼び覚ます。
最終的なイメージをもって作品に臨むのではなく、描く行為が過去経験した風景を想起させ、そのイメージと偶然作られた目の前の空間でもって作りあげる。
そして、「見る人にとって鏡のような作品」になること
つまり、見る人の過去の経験をも想起させることで作品が完成する。
作品というインターフェースを通じて、平野氏と私の過去が高い抽象度で重なり合う、そんな現象を期待させられました。
※:平野氏は過去の動画であえて作業と呼んでいます。
目の前にあるからこそ感じる深み
平野氏の作品と対峙して、最初に感じたのはその厚みと深みです。
前もってデジタルカタログに目を通していましたが、デジタルでは体感できない油絵具の重なりによる厚みや色のグラデーションの中に感じられる深みが印象的でした。
ほとんど同じ構図で書かれた複数の作品も、微妙に違うグラデーションから風景の時間差を感じることができました。
見る人の過去にただアクセスするだけでなく、過去の中にも時間軸を感じさせるというような作品でした。
Superposition 2404、Superposition 2405
とある作品に臨んだ際、今まで経験したことのない体の変化がありました。
なぜか、涙がにじんできたのです。
何か具体的な過去の風景が頭に浮かんだというわけではなく、漠然と作品を見ているだけで涙がにじんできました。
何がそうさせたのか、今もよく分かりませんが、その作品は私にとって他のどれとも違う何かを持っていたのだろうと想像しています。
帰宅
平野氏の作品は新たなアート体験をさせてくれました。
人は様々な記憶を潜在意識の中に飼っていて、何かがトリガーとなって想起される。
アートでもって、その体験を期待させる平野氏の作品をまた観に行きたいと思いました。