Every being has a story to tell 全ての存在には語るべき物語がある
ワタシが生徒さんとセッションを終えた後に
いつも思うことがあります。
それはまさに
この曲のメインフレーズである
Every heart has a story to tell
全ての心には語るべき物語がある
ワタシ的に言い換えてみると
Every body has a story to tell
全てのからだには語るべき物語がある
とか
Every being has a story to tell
全ての存在には語るべき物語がある
といったところかな
そしてそういう風に感じる時は
決まって
生徒さんの存在そのものを
愛おしく感じてしまいます。
生徒さんの話に耳を傾けていると
その人の物語の一片が
見えてくるように感じる時があります。
知らないうちについてしまった
細かい傷や
ひどく痛んだのだろうなと思う深い傷
それらが多層になっている
からだやこころや魂に
刻まれていて
日常生活の
何気ない反応の鍵を握っている
たとえばこんなことはありませんか?
同僚の一言が
何日も心にひっかかかって
何度も何度も頭の中をリフレインしてしまう
とか
偶然目にしたニュース動画の
ワンシーンから
胸に小さな波が生まれて
それが時間と共に次第に大きくなっていく
とか
もう何年も会ってない人なのに
(この世にいない とか)
あの時の悔しい氣持ちが
突如として鮮明に沸き起こってくる
とか
パーソナルセッションでは
まず生徒さんには
呼吸法の一つだと思って
日常のことなんでもいいから
お話ししていただきます。
多くの方は
自然と話題は日常で気になったことになるようです
そこで
話していただく声に
寄り添うように聞いていると
ところどころで行間が浮かんできます。
本ではないので行間というと
ちょっと違うかもしれません。
生徒さんの使う単語やフレーズには
言葉的な意味はもちろんありますが
それ以外の情報が含まれていると感じることがあるんです。
そんな時に
生徒さんが使った言葉やフレーズに
含まれていると感じる
生徒さんが実際には使ってない言葉を
ポンと彼女の両手に乗せてあげるように
話してみます。
(比喩的表現です💦)
そうすると
みるみる頬が赤くなり
目がうるんで
涙が出てきます。
生徒さんの中で
自分だけでは
見つけられなかったカケラが
見つかった瞬間なのだなと確信します。
欠けたカケラのせいで
過去の物語が完了できずに
まるで壊れたレコードのように
ある引き金となる刺激によって
同じ箇所をぐるぐるする反応を
をしてしまっていたのです。
それが結果として
細かい傷を増やすことだったり
深い傷のカサブタを思いっきり引っ掛けて
また血を出すことだったりします。
頬を赤くして泣いている生徒さんに対峙すると
みんなのこころには
みんなのからだには
話すべき物語がある
と思うのです。
見失ったカケラを取り戻すことは
自分を理解することにつながります。
自分を理解できることで
自分を丸ごと受け入れることができるようになります。
受け入れることができるということは
過去を赦す行為そのもの
それは
自分を自分で癒すこと
を意味します。
その後の
からだを動かすワークでは
動きに制限がある場所や
動くと痛みが出る場所には
それぞれ物語がある場合があります。
動かしていくことで
それがポップアップの宣伝のように
出てくることもありますが
それはそれとして
突き詰めることなく
今のからだにフォーカスし続けます。
ケースにもよりますが
からだの感覚よりも
物語の声の方が強くなってしまう場合は
動きをおやすみしていただくこともあります。
からだへのアプローチの時は
物語に深入りしないことが大切です。
物語とは”過去”なので
”いま”を取り戻すための
からだへのアプローチには
時として不要なだけでなく
邪魔にもなるからです。
稀に
過去に言われて痛かった言葉が
この脇腹に刺さったままでした
という
物語とからだの感覚が
ぴったり合うということも
起こります
そんな時は
それ以後
痛みがピタッとなくなってしまうことも
あります。
でもそれが楽しすぎて(笑)
なんでもかんでもストーリー仕立てにしたくなってしまっていては
なにも解決されないどころか
傷がどんどん埋没して複雑化していくので
厳重な注意が必要になります。
↑
これとっても重要
その加減を調整しているのが
カオンの役割の一つかなと
思っています。
さて歌の最後はこんな感じです。
そこで
どうしてワタシが生徒さんの見失った
こころのカケラがわかるかですって??
それは
ワタシも同じ
だからです。
ワタシはワタシの語るべき物語を
語り続けているだけなのだと思っています。