2.子どもが誘拐されました。
犯人は元夫でした。(当時はまだ結婚していたので夫でした。)
ある日突然、私の目の前で子どもたちが連れ去られました。義理の家族が総出でやってきて、子どもたちは無理矢理車の中に押し込められてしまいました。私は両手を広げて車の前に立ちはだかりましたが、義母に突き飛ばされ、よろけた隙に発車してしまいました。
すぐに110番通報をし、約30分後に警察が到着しましたが、既に子どもたちは義弟夫婦の運転する車で連れ去られてしまった後でした。
家に残った夫と義母は「3日後に必ず連れて戻る!」と言い張りました。
嫌な予感のした私は「そんなこと信じられるわけがない。今すぐに子どもたちを家に帰して欲しい。」と必死に訴えました。
警察の人たちは「3日後には帰ってくると言ってるんだからここは奥さんが折れてくれませんか?そうしてくれないと我々帰れませんので」と言いました。
「3日後にもしも帰って来なかったらどうなるんですか?絶対に帰って来ないと思うんですけど、たすけてくれるんですか?」と何度も聞きましたが、警察の人たちは「我々がしっかりと立ち会ってちゃんと双方の話を聞きましたので大丈夫ですよ。どうか安心してください。」と言いました。
子どもたちがいなくなった日、私はあまりのショックで一睡もできませんでした。
その夜、自分の実家に泊まりました。翌日自宅に戻ると家の中がひっくり返されていて、現金、私名義の銀行通帳、キャッシュカード、クレジットカード、実印、マンションの権利書(登記識別情報)、母子手帳などの貴重品類が全て持ち去られていました。ダイヤの入った婚約指輪や、まぁまぁお高いネックレスなど金目のものもなくなっていました。
すぐに警察に「大事なものを盗まれてしまった」と相談に行きましたが、盗難届を出そうにも、家族内では窃盗にはならないので無理だと言われました。どうすることも出来ないとのことでした。
結局、3日後に子どもたちは帰ってきませんでした。すぐに立ち会ってくれた警察の方にその旨を伝えましたが「3日後に帰ってくると思ったんです。民事不介入なのでどうすることもできません。」と・・・。
その日から1年間、子どもたちと離れ離れになりました。
連れ去りの翌日に住民票を取り寄せてみたら、私ひとりぼっちになっていました。
新車で買ったばかりだった車も、別の名義に変更されていました。
こうして子どもたちと会えない日々が始まりました。
1年の間に未成年者略取誘拐罪での刑事告訴/子の引き渡しの審判/監護者指定の審判/審判前の仮処分/面会交流調停/離婚調停/離婚訴訟/調査官調査などしました。
裁判所や警察署や消防署や病院や教育機関や役所や税務署や法務局や陸運局に電話したり通ったり・・・色々なことがあったので、当時の資料を読み返して、思い出しながら少しずつ書いていきたいと思います。
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