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56.「死ね!ママなんて死ね!」

 離れて暮らす親子が定期的、継続的に、会って話したり、一緒に遊んだり、電話や手紙などの方法で交流することを、かつては「面接交渉」今は「面会交流」そして今後は「親子交流」に呼び方を変えよう!そんな動きがあるそうです。

 自分の子どもと過ごすことは日常なはずのに、「面接」とか「面会」って、いうとなんとなく他人行儀な感じな感じがするから「親子交流」のほうが親子の日常の雰囲気があっていいなぁと思いました。名称って大切ですね・・・

 裁判所での施行面会の約1ヶ月後、審判の調査の一環としての面会交流が始まりました。その時の記録は「面会振り返りシート」という裁判所で指定された、私が書く為の「離れて暮らす親用」と相手が書く為の「一緒に暮らす親用」というフォーマットに沿って記載するもので、それ自体が審判の書類になるといったものでした。

 今までの書面でのやりとりと同様、受け渡しの様子などは同じシーンであるにも関わらず、まるで別の出来事のような双方の主張でした。

 相手の面会振り返りシートには、【母親と面会をしなければならないことを伝えると、「やだ!絶対に行かない!」「パパと一緒にいたい」と言い隠れてしまい、不安がって泣いて、吐いてしまったり、食欲不振や眠れないと言い、夜中に何度も起きてしまったり、寝ていてもうめきながら体を逸らせていました。熱も出てしまい、喉も痛いと言っていました。】と書いてありました。

 前日の夜遅くに元夫から「長男が38度5分の熱を出してしまったから面会を中止したい」と連絡がありました。嘘か本当かはわからないけど、やっぱりこうなるか・・・と思いながら、半ば諦め半分で、自分の子どもと引き離されてしまった仲間たちに相談すると、「なりちゃんは子どもたちの親なんだから病院に連れて行くって言えばいいんだよ!保険証を持って来て下さいって言ってみたら?」と目から鱗なアドバイスをもらうことが出来ました。「面会交流って遊ぶだけじゃないじゃん?親なんだから!病院連れていくのだって親の役目でしょ?」って。私一人で考えていたらとてもこんなこと思いつきませんでした。ただただ残念無念と、なすすべもなく諦めていたと思います。友人に感謝!

 早速、元夫に「大丈夫?食欲はありますか?咳とか鼻水?明日は鉄道博物館か、雪遊びか、室内でのんびり過ごそうと思っていたけど熱があるんじゃ安静にしていないとダメだね。そしたら家の前までタクシーで行きます。着替えとかは持っていくけどなるべくあたたかい格好をさせてあげて、保険証を用意しておいてもらえますか?よろしくお願いします。」と返信をしてみました。

 数時間後、突然熱が下がったそうで、無事子どもたちに会うことが出来ました。(ちなみに、長男に「お熱大丈夫だった?心配したよ」って声をかけたら、きょとんとしていて、本人曰く風邪なんてひいてないし、熱もなかったとのこと。)

 長男も次男もニコニコ笑顔で義母の運転する車から飛び出して来ました。ただ、次男が私に駆けより、手を繋ごうとしたら、長男があわてて「絶対にだめ!なりちゃんと手を繋いだらなりちゃんの仲間になっちゃうよ!」「僕はなりちゃんのこと大嫌いだもんねー!絶対に手を繋がないもんね!敵になっちゃうから!」と言って次男の手を払いました。

 「触らないで!変態!」「なりちゃんは敵だからあっちにいけ!」「死ね!!」
「ママは包丁を振り回すってみんなが言ってたよ。だからママのこと大嫌い」と繰り返し言っていました。

 などなど、一緒に暮らしていた頃では考えられない言葉遣い、反抗的な態度になっていて、表情も険しくて、目つきも変わってしまっていました。

 時間がたって遊んでいるうちにすっかり元の甘えん坊の男の子に戻り、表情も柔らかくなってきましたが、長男は当時5歳。連れ去られてたったの4ヶ月で豹変してしまったことに愕然としたことを覚えています。きっと小さい体でたくさん葛藤しているんだろう。自分の中の本当の気持ちはどこにあるんだろうと必死で探しているような、小さな心が壊れてしまわないように必死になっているような、そんな気がして、その姿を見るのはとても辛かったです。

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