28.居酒屋が涙の海になった話。
開けると決めたはずなのに、パンドラの箱を開けることが出来ずにいます・・・。なので裁判の話に移行する前に親子ネットとKネット(今はない)との出会いの話をひとつ。
同じような立場の人たちが集まる会があることを知りました。藁にもすがる思いで、その会に行ってみることにしました。
まずはじめに円になって座って、ひとりずつ自己紹介も兼ねて状況や子どもへの思いを語ってゆくのですが、見渡すとメンバーの多くが男性で、女性も数名いらっしゃいました。励ましあったり、情報を共有したり・・・。そういった自助の会でした。もう何年もお子さんと会えていない。行方すらわからない。そんな状況の方ばかりでした。司法の壁にぶち当たり、行政、教育機関、マスコミへの働きかけ、ありとあらゆる手段を尽くしても愛する我が子に会えなかった人たちがたくさんいらっしゃいました。
私は心のどこかで、今まで平和だと思って暮らしてきたこの国で、こんなめちゃくちゃなことがまかり通っていることが信じられずにいましたが、これが現実なのだろうと悟りました。
会が終わったあと、もう少し話をしないかと数人のメンバーが居酒屋に誘ってくれました。聞いたことのない現実を知ったショックからなのか、子どもと暮らしていた時は、いつも息子をおんぶか抱っこしてたので、めずらしく体一つで街を歩いているせいなのか、理由はよくわかりませんでしたが、地面に足がついていないようなふわふわとした感覚でちょっとフラフラしながら居酒屋に向かいました。
居酒屋では、子どもを連れ去られてしまった人の中で、知る限り裁判に勝った人がいないこと。裁判所に期待などしてはいけないこと。法改正を求めているけどもう何年も話が進んでいないこと。たとえ裁判に負けたとしても、親子の絆が切れるわけではないことなど。私の知らない話をたくさん聞きました。
メンバーの女性が、もう何年も何年もお子さんに会えていなくて、ずっとずっと会うために活動を続けてきたけれど、もうご自身のお子さんは成人してしまって、もう一生会うことはできないかもしれない。でも次の世代ではこんなことがないように。自分のような想いをしなくていいように。と今でも活動を続けているとそう話していました。
自然と涙が溢れてきました。その女性は、私のことを、優しく、あたたかく、ぎゅっと抱きしめてくれました。
気がつくと私は大声で泣いていました。一度溢れた涙は止めどなく溢れ、隣の席にいた団体の知らないおじさんたちの視線も気になると言えば気になるけど、そんなことは考えていられないくらいやるせなくて、悲しくて、大きな声で泣き続けました。どうしてこんな優しくて、あたたかくて、こんな素敵なお父さん、お母さんが何年もお子さんに会えないのか・・・私もあの子たちにもう二度と会うことが出来ないのか・・・と考えながら。
そこにいたメンバー全員、私が落ち着くまでただただ静かに見守ってくれていました。みんなのやるせない気持ちが痛いほど伝わってきました。
今から約7年前の話です。
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