タスクシュートに対するパラダイム・シフト 【ユタカジン】
はじめに
おつかれさまです。「タスクシュート認定トレーナー」、そして「タスクシューター界のジェームズ・ボンド」ことありひとです。
このマガジンは「自分らしい時間的豊かさを追求する」をテーマに、複数のタスクシューターが交代で時間との向き合い方、タスクシュートの使い方、ひいては人生観などを語っていく連載です。
本題に入る前に、この週末3/2にタスクシュート協会理事のjMatsuzakiさんと佐々木正悟の共著『先送り0』の出版記念パーティーが開かれました。
本マガジン読者の方でも参加された方は多いんじゃないでしょうか。わたしも参加させていただき、非常にBurningな時間を過ごさせていただきました。
パーティーの様子については、認定トレーナーのますけんさんが早速参加レポートを書いてくださっています。
上記記事の最後の文章にはとても共感です。
タスクシュートほど個人の属性が活きてくる時間術をなく、だからこそ色んな方と会話するのは大切だとあらためて感じました。
前回記事のふりかえり
さて、前回のわたしの投稿では、自己紹介がてら自分がとにかく「記録が趣味」なんだっていう話をさせてもらいました。
もともと勉強時間のようないわゆる「投資の時間」を記録していた
それが最終的には、よりPDCA的な使い方をするためにタスクシュートを使って1日の行動をログとして残すように拡張していった
これがわたしの記録を取る目的の変遷とタスクシュート使い始めたきっかけのサマリです。
ただし、前回記事の最後に書いたように現在のわたしは「PDCAを回すことで理想の1日に向けて最適化していく」という文脈ではタスクシュートを使っていません。
今日は、なぜ当初の目的から考え方が変わったのかについて語っていこうと思います。
ちなみにこれから話すエピソードは、本noteの読者の方であればもしかしたら既視感のあるものかもしれません。
しかし、自分にとって非常に重要で大きな転機となったエピソードですので、今後も事あるごとに話していくと思います(笑)
1度だけ「完璧で理想的な1日」を過ごしたことがある
タスクシュートを使い始めて誰もが最初に考えるのは
だと思います。そしてみなさん、この戦い(?)に果敢に挑戦して、なかなかうまくいかず、試行錯誤を繰り返す。まさにPDCA的な使い方です。
しかし、実はわたしは1度だけ、3年間タスクシュートを使っていて本当に1度だけ、当初立てた「理想のプラン」どおりに1日を過ごしたことがあります。
それは100日チャレンジ第1期中(※)の夏休みのある1日のことでした。
※jMatsuzakiさんと佐々木正悟さん主催しているオンラインプログラム。現在、第7期が開催中。
子どもは保育園、妻は仕事だったので文字通り「自分だけのお休み」でした。
誰にも割り込まれることなくプランにあるタスクを上から順番に実行し、すべてのタスクを消化しきることに成功。
家事や食事といった生きるために必要なタスクはもちろんありましたが、基本は自分が過ごしたいように過ごしました。
自己研鑽のための習慣もこなしたうえで、観たかったドラマも観ました。まさに「完璧で理想的な1日」を過ごしたわけです。
普通に考えればこれ以上ないくらいの満足感と達成感、そして幸福感が得られるはず。ところが、自分に残ったのは大きな欠乏感でした。正直、とても混乱したのをよく覚えています。
未来に力点を置いた思考は「欠乏感」を生む
100チャレ期間中だったこともあり、上記の混乱した気持ちをDiscordに投稿すると、佐々木さんが色々とコメントしてくださいました。
その後、わたしも『欠乏の行動経済学』という本を読んだりして、佐々木さんの言葉や咀嚼しつつ自分なりの結論が腹落しました。
それが「未来に力点を置いた思考は「欠乏感」を生む」ということです。
どういうことか。
未来っていうのは自分の頭にしかない妄想です。そこに「現実の時間」というリソースを投入するというのは、非常に不安定なことをしていることになります。
上の図で言えば、自分は右側のスーパーサイヤ人のようなすげぇ奴になるために、時間を投資しているわけです。
しかし、実際はそのスーパーサイヤ人像は非常に脆い妄想にしか過ぎません。実在しないのです。
こうなるとブラックホールにお金を投げ入れているようなものです。不安な気持ち、欠乏感が生まれるのは当然です。
わたしたちが考える「完璧で理想的な1日」の背景には往々にして「やりたいことがやれている」という状態が隠れています。
そしてその「やりたいこと」の多くは、「将来のために」という枕詞がついているものです。少なくともわたしはそうでした。
だから、問題になった夏休みの1日は
妻や子どもからの横槍なく「自分の(現在)の時間」を自己研鑽の時間に使えた
→理想的な1日を過ごせた
→でも、なんか物足りない
という流れをとってしまいました。
理想や未来のためにタスクシュートを使うのやめました
ということで、わたしは理想的な1日を追うためにPDCAを回すツールとしてタスクシュートを使うのをやめました。なぜなら、理想の1日を過ごしても別に幸せじゃなかったからです(笑)
そうではなく、ログを取りながら、先送りゼロを目指しながら、今日1日にフォーカスすること自体を重要視するようになりました。これがわたしに起きたパラダイム・シフトです。
とはいえ、「じゃあ自己研鑽に時間を使っちゃいけないのか?」とツッコミたくなる方もいらっしゃると思います。
そういうわけではないです。
ただわたしがこの経験から得た教訓として
「自己研鑽に時間を使えた理想の1日を過ごすことと幸せは直結しない」
「未来に力点を置いた思考に注意する」
の捉え方を念頭においておいたほうがいいなと思っています。
『欠乏の行動経済学』にも書かれています。欠乏"感"というのはマインドセットである、と。つまり、とても乱暴に言ってしまえば「気の持ちよう」「心のあり方」から来ます。
ゼロイチで切り替えるのは難しく、わたしももちろん完璧に悟りきってるわけではありません。
ただ新しい視点として上記の捉え方を持っていただけると、また一つタスクシュートを使って豊かさにつながると思います。
『先送り0』絶賛発売中です
大分長くなってしまいました。。。どうしてもこのエピソードに関しては、語ることが多くなってしまいます。それだけ大きな転機だったので。
多分、次回記事からもっと短いです(笑)
さて、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、只今絶賛発売中の『先送り0』内コラムでわたしのこのエピソードが紹介されています。
本書ではわたし含めた6名のタスクシューターへのインタビューとして、それぞれのパーソナルかつタスクシュートでどう人生が変わったかが語られています。
言うまでもなく本文も素晴らしい内容ですが、コラムも素晴らしいです。
インタビューを受けているタスクシューターも多種多様で、タスクシュートがいかに懐が深いメソッドなのかが伝わると思います。
まだ読まれていない方は、ぜひ本書を手にとってみてほしいです。
今日はこのへんで。先送りゼロ六人衆が一人、ありひとでした。