セーブポイント

説明じみたことをしないために説明書を製品より先にリリースするようなことをしておこうかと思う。制作をする人間として、道が見えない不可能感の時期は必ず訪れる。スランプと言うのかもしれないが、もっと単純に言えば「私が作るべき作品などない」という状態に近い。何かを作ることはできてもそれを作ることに何の必然性も鋭さも感じない。演劇の上演や絵を描くことはかなり虚無の領域になっている。作った作品を「消費」するというのならそんな事を感じることも無かっただろうが、比較的消費しにくいものを目指しているのでこうなっているのだろう。実際このラインを迎えてからが始まりというのは感じる。様々な手はやり尽くされ、過去の記号化と焼き直しの反復が増殖していく。そんな中で勝手ながら救いとなったのはゲルハルト・リヒターの本だった。美術史の中でのリヒターの画業の変遷はとても興味深いが、何より色々な事について「無い」と言っているところが良い。リヒターよりも「無い」私は勝手にリヒターの流れを引き受けて、どうしようもないものを作る決断を採った。私にはリヒターのようなフォトペインティングを仕上げる力がない。ただ、写真と絵がコンピューターの中で最も接近している時代に生きている人間として、とてつもなくどうしようもない絵が描ける気がしている。こればっかりは誰もくだらなくてやっていない気がするし、カッコよくなく、鼻で笑えるし、何よりセコい。こんなセコい手を真面目にやることしかできない。

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