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2023年

24年を迎えてから始める2023年の振り返りです。
今年のリリースに限らず個人的なムーブメントを含めております。


2023の音

cero 「 e o 」
RHYMESTAR 「Open The Window」
MONO NO AWARE 「風の向きが変わって」
tofubeats 「自由」
ラランドの声溜めラジオ

2023のテレビ・配信番組

ララチューン
トゲトゲTV
有吉弘行の脱法TV
ドキュメント20min. ニッポンおもひで探訪~北信濃 神々が集う里で~ 
SIX HACK
いきものさん
カッラフルなエッッブリデイ
ジェシカ美術部
水曜日のダウンタウン 名探偵津田
ウルトラマンブレーザー
野田クリスタルpresentsストリートファイター6初心者過ぎ大会

2023の本

水声社 『ハンス・ベルメール身体イメージの解剖学』 松岡佳世
白水社 『ポストドラマ演劇はいかに政治的か?』 翻訳:林立騎 著:ハンス=ティース・レーマン
美術出版社 『美術手帖 2020年8月号 ゲーム×アート』
オーム社『現代都市のための9か条』 西沢大良
早川書房『三体Ⅲ 死神永生 下』 劉慈欣
『アフロ・ディズニー エイゼンシュタインから「オタク=黒人」まで』 菊地成孔/大谷能生
NHK出版 『団地の空間政治学』 原武史
グラフィック社 『水と手と目』 豊井裕太
美術出版社 『ポスト人新世の芸術』 山本浩貴
ハヤカワ文庫 『異常論文』 樋口恭介
練馬区立美術館 『日本の中のマネ 出会い、120年のイメージ番外編』
イーストプレス 『活動芸術論』 卯城竜太

2023の食べ物

モンスターエナジー
大粒ラムネ
oikos
伊藤園 さえみどり

2023の光

モニターの光

2023のゲーム

ゼルダの伝説Breath of the wild
TOEM
GREEN HELL
スイカゲーム
Layers of Fear
Everything

2023のベストデザイン

Nintendo SWITCH 有機EL
Nothing Ear(stick)
ユースキンAa 30g
Nintendo Wii U ACアダプター

(番外編)バッドデザイン
ファミリーマート 現金可能セルフレジ

2023のいきもの

ねこ
コーギー
ケープハイラックス
グンディ
オポッサム

2023の制作

卒業制作「あんぜんさんの訪れ」


 演劇ダンス専修に所属してコロナ禍を過ごし、自分自身の制作を継続した先に行った展示=作品。いままで制作後には区切ろうとするように長文を書いてきたが、これに関してそうしていなかったのは感覚と手作業に端を発した、非・コンセプチュアルな制作を心がけた為だ。より抽象的な話になって申し訳ないが、(共感可能な事と思って続ける。)手作業の繰り返しや言葉での整理を外れて、手や眼の中から生み出される作品の方が、企画書やコンセプトを長期間練ったものより「何か」を感じさせる事がよくある。
 どちらも自分自身にとって作品として制作するに足る「何か」なのは間違いないが、感覚的な制作が、観客に知識や鑑賞への慣れに関わらず「何か」を引き起こせる場合があるのだ。また「これを信じなければ芸術の岸からすこし離れてしまう」ような恐怖を持って、“生成的”な制作を目指した。

生成的

 生成的というのは個人の細かな経験や身体によってゆっくりと得られるものを認識し、時間をかけて作品を生み出す、限りなく“生きる事に寄り添った”制作スタイルのことだ。その一歩目が何卒研コレクティブにあたる。何卒研コレクティブが終始謎の団体なのはメンバーが表にクレジットされる劇団や公演スタッフのような一般的な集団単位と異なっているからだ。何卒研コレクティブは作品に関与しない。もし関与が疑われるとすれば、何卒研コレクティブに参加している私個人の認識を通してである。そもそもコレクティブは協働する集まりの事で、芸術分野に於いては(私的な感覚だが)既存の集団の反省を汲みつつ新たな集団像を探求する中で注目される概念である(しかし既にコレクティブの流行も変わりつつあるかも)。
 何卒研コレクティブでは2022年、週に一回Zoomを開き、参加できた/したメンバーが最近の出来事や感覚について話を分岐させながら雑談してきた。登場した話題はオンラインホワイトボードアプリmiroを通じて全てが記録され、近い概念同士でコロニーを形成させた。何卒研コレクティブの雑談を行う事によって、個々人から出た話題は他の人の経験や話題と接続され、同期した動きとして大きく認識できるようになる。コレクティブを作る時にこの目的を掲げはしなかったが、小さな経験を大きな動きとして接続して捉える過程は実現できたと考えている。直接問題解決を行わない何卒研コレクティブの活動を通じて自分自身の問題意識や興味範囲と、他者の範囲が触れたり触れなかったりする間に社会を見出し、卒業制作として私個人が何を抽出するのか。それが長い間の問題となった。
生成的な制作の前段階としてコレクティブがあり、そこから展示をつくる為に、まず先にビジュアルから作り始めることにした。ベースとなるキャンパスの空間を探し、そこに作品が巣食う様にラフなイメージボードをいくつも描くことでプランを作る。担当の先生へは書き直し過ぎたあまり空中回転している企画書を送り、展示のコンセプトとビジュアルと企画書を相互的に干渉可能な隙を用意して平行させた。

キャラクター


タイベッくん


 今まで積極的に取り組んでいない姿勢として生成的な制作を選択したが、続いてビジュアルで示したのはキャラクターだった。私は同世代と比較してもキャラクターへの指向が薄く、推し概念やキャラクター受容についても鈍い点がある。演劇の台本を書くことに注力していた頃、台本について「キャラクターを思いついたけど物語を思いつけない」と相談されたことがあった。どう返答したかは曖昧だが「物語より先にキャラクターを思いついてどうするのか?」と思ったのを覚えている。
 物語の中に起こる出来事に絡み、駆動させるのがキャラクターであってキャラクター単体でどうするのか(台本の書き方としてキャラクターから書く派が居るのは分かるが)という基本スタンスは今も変わっていない。その延長として絵を描く時も“立ち絵”を描かず、“オリキャラ”を描いてこなかったのかもしれない。だからこそ、ここへ来て、キャラクターから物語を作ってみようと決め、防護スーツのキャラクター、あんぜんさんを描くことにした。あんぜんさんは初期の名前をタイベッくんといい、これがキャンパスの中に居るイメージを携えて誕生した。他の学生と防護スーツ姿の人物がすれ違ったり、授業を受けたりしている、そういったイメージは徐々にパフォーマンスとして、最悪のゆるキャラとして、演劇として、漫才として、ツッコミ役(新しいシテ)として、また私自身の身を隠す場所として収束していった。

企画書

 担当の先生へ出した企画書をまとめて言えば、原発事故収束作業員の姿とパンデミックに対応する医療従事者の防護スーツ姿が約10年を通る線を描いている。しかし構図は“首都圏にいる人々”から比較すると、福島第一原子力発電所という離れた場所にある中心を無くし、パンデミックでは“夜の繁華街”という曖昧な人口密集地に移り変わっている。とした上で約10年間のもう一つのポイント、SNSに頻発する、当事者と非当事者の関係が離れれば離れる程、摩擦を引き起こすことを合わせたパフォーマンスをする。と空中回転しながら書いていた。

展示のコンセプト

 美術教育の外にある身で展示を作ることはどこまで行っても紛い物なのかもしれないコンプレックスを抱える。一口にただ展示と言って壁に絵を掛けるようでは貧しい体験になってしまうからだ。展示が美術の制度である限り、噛み合いたいが噛み合っていない可能性を感じ続けてしまう。しかし、元々ちぐはぐで進めている(演劇ダンス専修が卒業研究公演をせず卒業制作をし、展示室ではなく教室で絵ともパフォーマンスとも言えないものを制作しようとしている)企画なのだから、元々噛み合うものはないのだった。だから開き直り、展示を美術教育云々とは別の捉え方を行った上に企画を調整することにした。開き直った捉え方は展示=輸入というもので、そこ(展示室)に無かった物を入れる(輸入する)ことであらゆるものが展示の俎上に挙げられ、また輸入の為に移動した距離と時間が長ければ長いほど珍品として値が張るというものだ。
 しかし展示=輸入は屋外彫刻のような恒久展示作品が当てはまらない。それは展示=輸入が「何かを作品として消費する為の方法」として仮説されたからでもある。消費社会のなかで展示行為が生き残る可能性として、展示=輸入が最も有力というのが私の見解なのだった。大きな公共の美術館や博物館が資金的に終わりを告げられ、企業のアートスペースが乱立し、恒久展示よりも暫定的な期間限定の展示(原画展etc…)や販売(ポップアップショップ)が仮設で行われる状況がある。長期間維持すると値が張るからこそ新しいものによって短期的に変化を起し、展示を実現する。
 美術教育の外にいる私こそそうするしかない状況にあった。最小の輸入を原則とした展示を作る。つまりまずテーブルや椅子を教室(展示室)から出し(輸出)、そこには無いルームランプを運び込む(輸入)することだった。

あらゆる距離について


 「あらゆる距離について」は展示室に貼り出した文章のタイトルだ。企画書に書いたような10年という時間、首都圏と原発の距離、パンデミックのソーシャルディスタンス、SNSの当事者と非当事者の距離、展示のための輸入、輸入が消費の方法であること。時間と空間の距離が全ての根幹にあり、それを越える営みには必ず歪みが生まれる。その歪みが消費を可能にし、何かをすり減らす。
 だが時間や距離を越えた行為に対して人々ができるのは想像しかないのであり、その想像の一助として芸術や作品は展開可能だと信じていたい。補足だが時間や空間の“距離”を巡るイメージは卒業制作に際して生まれたものではない。22年の《タッチ》と《ストロークNo.60》の2作と、そこに寄せたコラム「物語を操作する」では、「二点を繋げる線こそが物語であり、この作品はそれを“ストローク”と呼ぶ」と語って、鑑賞者が内面で何かの概念と何かの概念を関連付ける=ストロークを描いて物語を作り、消費することを煽った。この“ストローク”=“物語”は今回の“あらゆる距離”とパラレルな概念として今は思え、今作でさらに物語にして消費することへの嫌悪も含ませるに至った。その点で卒業制作らしい、継続した取り組みの最終形と考えていたい。

あんぜんさんの訪れ

 《あんぜんさんの訪れ》は展示「あんぜんさんの訪れ」の表題作のパフォーマンスにあたる。2022年の日本にやってきた映像コンテンツ制作者の未来人達が“ネタ”を披露し、それを見た2022年の観客のリアクションを未来の視聴者に配信するという筋書きを持つ。ネタの内容は、2022年の人々を勇気づける為に過去へ出発した映像コンテンツ制作者の未来人ノビと、ゆるキャラのあんぜんさんの配信番組が未来社会の中で炎上し、その配信を自粛させる為に未来人の上司マキがさらに過去へ送られる。
 しかし二つのタイムトラベルが事故を起こし、2022年で二人は正気を失いながら会話し、本来の目的を思い出す。複雑な設定をベースに未来人同士のあんぜんさんの企画に対する反省や、過去の状況を鑑みていない未来人の消費態度が批判されるが、その反省の色さえも全てがネタだったという態度のせいで疑わしいまま話が終わる。
 未来のクリエイター(ノビ、マキ)と未来の観客(あんぜんさんの中の人物)が短いテキストを通じて、2023年の観客にとって嫌な人物であることで、疑似的に仲が悪くなる。結果、反面教師的に観客の省察を期待するものになる。

稽古

 今まで自分で演劇を作る場合は戯曲を書ききってから全てを始めることが多かった。だが今回は上演中の空間や風景をイメージする所から始め、物語自体を軸にはせず、6ページのテキストを発語することでパフォーマンスが終わる状態を目指した。オンラインで2~3回メンバーと読み合わせをし、テキストを最終版にして送り、一週間後公開制作を開始して対面での合わせ稽古を行った。
 注意したいが、公開制作期間を稽古と言うのは正確ではない。公開をしている限り作品の一部であり、展示室にしか入れない約束を結んだ観客にとってパフォーマンスとして観るしかないものだからだ。この疑似的な稽古期間は、生成的な制作のため、言葉による指示を無くす目的でシステムを組んだ。
・展示室に全員が入り、最初の台詞を発語する事でパフォーマンスを始め、自分自身の台詞を見失えば「ありがとうございました」と言って全体を率いて退室できる。
・パフォーマンスのミザンスやアクションは可能な事のみを楽屋で確定していく。
・13時15時17時の一日3ステージは遅い時間になればなるほど台詞と台詞の間隔をあける。
 このシステムはパフォーマンス全てに適用され、稽古や本番の区別を無くし、上演の時間も可変(約10~50分)にする。パフォーマーの行動を決定するシステムが、観客の経験の同一性を守らない(やってることが変わるかもしれない)方針が叶えるのは、テキストが持つ物語を(演出家や脚本家ではなく)パフォーマーの体調や判断に従わせる状態だ。これこそ私が希望を持てる演劇の姿である。
 しかし物語をパフォーマーや俳優に従わせるシステムはウェルメイドな演劇の姿とは違った印象を与えることが予測され、そのような演劇を行う俳優やパフォーマーにも別なる意識が必要になるだろう。それ故にパフォーマーとして参加してくれた磯部香月さんや星和也さんには、説明不足による特殊な負荷をかけたかと思う。

まだ同人誌や段ボール箱、マスキングテープ、糸、映像、黒い線、など書いていないことはあるが紙幅とスタミナの関係から切り上げたい。
(ここまで書いたがこういった開陳は批評的なものよりもナルシシズムの栄養しかないだろうし。)


はやおサークル
「日常と少しの非日常展」東急リバブル町田センター

《肖像(Doge)》


 ネットミームとなっている柴犬の頭部の透過素材をアマゾンの段ボールに描いたもの。柴犬のネットミーム(Doge)にはいくつか定番のコラージュ素材の柴犬があるが、ここで使用したのはロシアによるウクライナ侵攻に対して親ウクライナ派の活動を展開したNAFO(North Atlantic Fella Organization)が頻繁に使用した画像を引用している。
 NAFOはウクライナ側の兵士の頭部がこの柴犬になっている画像を作成するなど象徴的に使用していた。ただどこかで生きていた柴犬の顔に戦争や仮想通貨のイメージが紐づけられていく事の異様さを起点に、ネットミームではなくその素材となってしまうものの肖像を描こうとした。

《光る!アートキャンバス水彩紙風(インテリア・雑貨)》

 中のLEDライトで虹色に発光する、白い紙で出来た箱。現代美術ではしばしば白紙の作品が登場し、物議を醸したり、スベったりする。その中の1つとして逆に現代美術ではなくインテリアとして白いキャンバスが発光するものを制作した。最初はゲーミング絵画と呼んでいた。東急ハンズで作れる。

2023の作品

ナギサトアユカ卒業研究公演『トランス』ストーンズホール 1/20
VA専修卒業制作展「Vortex」1/27~2/30
卒業制作選抜展「vortex」アーツ千代田3331 2/17~2/19
月企画「□」3/9~3/12
中谷優希「ふわふわの毛をむしる」 OGUMAG+5/15~5/28
オフィスマウンテン「ホールドミーおよしお」 駒場アゴラ6/28~7/9
渋谷区立松濤美術館「私たちは何者?ボーダレス・ドールズ」7/1~8/27
「トランスフォーマー ビースト覚醒」8/4
根本敬presents蛭子能収「最後の展覧会」AKIO NAGASAWA GALLERY AOYAMA9/7~9/30
倉知朋之介・竹久直樹 展 「逆襲」SNOW Contemporary8/25~10/7
東京都現代美術館「デイビッド・ホックニー展」7/15~11/5
はやおサークル「懐古展」10/28~10/29
はちみつ「動物倉庫」MURIWUI12/7~12/10
原田郁「In the Window」アートフロントギャラリー12/8~1/21
福井裕孝「インテリア」映像 Theater E9 Kyoto

2024年

市民性を考えます。

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