
星めぐり
「あの星はなに?」
「明るすぎる、本当に星かな?」
「星じゃない?」
「なんだろう」
「金星じゃないかな。」
「夜空で、見つけられる星座はあんまりないんだよね。」
「そうだね。オリオン座と、カシオペヤ座と、北斗七星くらいかな。
でも、北斗七星も、かなり暗くないと見えない。」
「どちらかが見つけられたら、北極星も見つかるね。」
「ふたご座は見やすいよ」
「そうなんだ。自分の星座くらいみつけられるようになりたいな」
「かに座は見えづらいんだよね。」
「どうして?」
「ぜんぶの星が暗いから。」
「うお座は?」
「暗いところなら、見つけられるかも。」
「シリウスは、金星の真左。」
「オリオン座の左下くらいだよね」
「シリウス、見つけた?」
「見つけたよ。あれ。あの、明るいやつ」
「ああ、青いやつね」
星を見つけるのは、その場限りのことじゃない。その会話が終わった後でも、星空はいつも同じ姿をしている。概ね、北極を中心に回転するだけだ。
だから、私は何度でもその星を見つける。ある秋の夜に月にまとわりつくように輝く泣きぼくろを指さしてから、常日頃火星を確かめるようになったみたいに。毎夜帰り道のオリオン座の位置の変化の話を聴いた時みたいに。またひとつ私の見つけられる星が増える。青白く燃える、遠い一等星。
ピストルスター
……発見時点で、全銀河で最も明るい星。しかし、地球から見ると四等星の星。暗い宇宙で、なによりも明るく輝く星。なのに人々にはその光がほとんど届かない星。
「生き続ける」が最も重要な目的である、ということに疑いがない限り、諦めが悪だと言い切ることは決してできない。生命の存続のために何かを諦める瞬間は、必ず存在する。だから私たちは、境界線のない群青からひとつ、またひとつと墜落するその星を、ひとつも責めることはできない。
人類が二〇世紀の終わりに発見したとき、ピストルスターは銀河で最も大きな星だった。でも地球から遠く離れているから、僕たちが目にする輝きはささやかだ。ピストルスターはひっそりと、でも強く、気高く輝いている。僕はピストルスターの輝きを愛している。たとえその光が、僕の暗闇を照らさなかったとしても。
たとえば天使がいるとしたらその手を取ってはいけない。天使と食事をして、天使と話をするためには、天使の手を取ってはいけない。そういうことは本当はずっとずっとたくさんあって、でもはぐれてしまいそうなとき、その存在が自分を忘れてしまいそうなとき、愛してる時に手を取った。そうやってこの世にはきっと人が増えていった。天使は減っていった。
(中略)大切な人の幸福を願う時、その人を天使だと信じ続けることはきっととても大切で、それは寂しさを、真夜中も早朝も部屋に満ちる光のように捉えることだ。
天使の手を取ることと、星を墜落させることは、同じことだ。でも同時に、「生き続ける」の次に大事なのは、見上げた星を、星のまま信仰し続けることだと思う。それはそのまま、天使の手を取らずにいることだ。
だから、寒空を見上げるたびに探す星が増えることは、夜空への永遠の憧れを増やすことで、つまり、小さな一歩だったとしても、墜落から遠ざかることだと思うんだ。