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【企画参加】#私の思う女子力

今日も見てくださってありがとうございます。

山根あきら様の魅力あふれる企画に参加させていただきます。

山根あきら様、、、素敵な企画ありがとうございます。


まずは、一見シンプルでありながら、深い洞察を秘めた「女子力」について論じてみましょう。

一般的には女性に関連づけられるこの言葉ですが、私はもちろん男性。

大丈夫です。履いていますし、ついてますから。


まずは話題に入る前に言葉について考えてみましょう。

言葉の本質を考えると、言葉は対象物が存在するからこそ生まれると思います。

想像してみてください。もし世の中が女性だけだったら、「女」という言葉は必要ないかもしれません。

同様に、男性だけの世界では「男」という言葉も生まれないかもしれません。

そして面白いことに、無人島で生まれ育った人は、「男」「女」という区別も、他者との違いも意識せずに生きていくでしょう。(だって喋れる人いないもーん)

言葉は、まさに対象があるからによって定義されるものと思います。


さて、女子「力」の「力」の話に移りましょう。

「力」という漢字の語源を探究してみます。この漢字は、農業の道具である鋤「すき」から派生した象形文字と言われています。その意味は、何かを成し遂げるエネルギー、状態の変化に影響を及ぼす能力、腕前、勢い、そして努力などを象徴しています。

面白いことに、「男」という文字にも「力」は含まれています。「男」は「田」と「力」が結合して生まれた会意文字ですね。

また、「加える」という文字にも「力」の存在が見て取れます。

(当然、女には力は含まれてはおりません)


前置きが長くなりましたが女子力の前に女性らしさを論じてみましょう。

私が考える女性らしい人はオードリー・ヘップバーン様。

ぱちぱちぱち。

オードリー様の魅力はmadamhiroko様の記事にお任せするとして、私のお気に入りの女性らしさが目立ったところはここ。

この『麗しのサブリナ』にも数々の逸話があり、その一つがこの映画の為にオードリーが衣装は大事だということで一人パリに出向く、あちこちのブランドを訪ね歩くのだが悉く断られ、OKしてくれたのがジバンシーだった。
その時、ジバンシーは既成の中から服を選ぶようにとオードリーに伝えた。

すると、オードリーが選び出したその卓越したセンスにジバンシーは驚き、衣装を引き受けたのでした。映画でオードリーが纏ったドレスはかなりの注目を浴び、だんだん先が細くなる少し短めのパンツはその映画以来、サブリナパンツと呼ばれるようになりました。

そして、その時オードリーが履いていたフラットシューズを今でもサブリナシューズと呼ばれて世界の女性たちに愛用されています。

彼女は様々な映画で常に話題を作り、世界中の女性だけじゃなく男性にも永遠のミューズと呼ばれるようになりました。

madamhiroko様の記事より一部省略して引用しました。どうもどうも、ありがとうございます


ではオードリー様は女子力が高かったでしょうか? 当時はそんな言葉がなかったとしても、彼女に女子力という言葉は私は似合わないような気がします。

あえて言えば自然体だった。真水のような透明度の純度の高い存在であった。だから自分らしい素敵な衣装を引き寄せた。


イメージ図です。画像生成AIで作成


ではテーマの女子力について論じてみましょう。


女子力、、、うーーーん、、、うーーん、、、

「力」という言葉は一般的に、「ある」「ない」「高い」「低い」「強い」「弱い」といった言葉と組み合わせて使われることが多いです。

しかし、「女子力」という言葉に関しては、「ある」「ない」「高い」「低い」という表現が主流で、「強い」「弱い」という言い方はあまり一般的ではありません。女子力が強いなんてきいたことねーだろ。

これは、「女子力」という概念自体が、従来の「力」とは異なる側面を持っていることを示しています。つまり私は女子力なんて(言葉をちゃんとつかえねー)社会が生み出した造語は認めねーぞ。

論じるのが難しいです。(コラコラ)
取り消し線は私の苦渋な言葉の言い回しの残骸です。


あえて女子力を論じるとしたら、、、そして本日伝えたかったこと。


女子力の高低をお話する際、多くの人は「何かを足す」ことを考えがちです。たとえば、ファッションやメイク、言葉遣いを今までよりもキレイにするといった外面的な要素ですね。でも、待ってください。これはただの「足し算」に過ぎないかもしれません。

私が伝えたいのは「足す」ことではなく、「削ぎ落とす」ことなのです。禊のようにこれまでに積み重ねてきた不要なものを洗い流し、本来の自分を取り戻し、そして内面の輝きを取り戻すことにあるのではないでしょうか。

一方、「女子力」という用語は、現代社会によって造られ、特定の社会的な枠組みや期待を映し出すことが多い気がします。「女子力」が高いか低いか、あるいは存在するかどうかは、結局のところ、社会が定義したカテゴリの一つに過ぎないのではないと思います。

例えるなら女性らしさは自然や宇宙、女子力は社会的な枠組み、、、、もちろんどちらが良い悪いということでもございません。

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女性らしさ、これはまるで伊勢神宮の五十鈴川のようなもの。

清らかで、純粋な濃度を持ち、それだけで美しい、、、、、


Wikipediaより伊勢神宮の五十鈴川を引用

書いていて意味が分からなくなりましたのでこの辺で失礼します😀

#私の思う女子力


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