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次女とちひろ美術館(東京)に行きました。
(長野県の安曇野にもあります)

私の大好きな場所。

そこに、いわさきちひろの「大人になること」という文章が展示されています。

初めて壁に掲げられたこの文章の前に立った時、涙が溢れて止まらなかった。

今も、共感する思いは、変わりません。

少し長いですが、ここに掲載させていただきます。

 人は若かったときのことを、とくに女の人は娘ざかりの美しかったころのことを何にもましていい時であったように語ります。けれど私には自分をふりかえってみて、娘時代がよかったとはどうしても思えないのです。
 といってもなにも私が特別不幸な娘時代を送っていたというわけではありません。戦争時代のことは別として、私は一見、しあわせそうな普通の暮らしをしていました。好きな絵を習ったり、音楽をたのしんだり、スポーツをやったりしてよく遊んでいました。
 けれど生活をささえている両親の苦労はさほどわからず、なんでも単純に考え、簡単に処理し、人に失礼をしても気付かず、なにごとにも付和雷同をしていました。思えばなさけなくもあさはかな若き日でありました。
 ですからいくら私の好きなももいろの洋服が似合ったとしても、リボンのきれいなボンネットの帽子をかわいくかぶれたとしても、そんなころに私はもどりたくないのです。
 ましてあのころの、あんな下手な絵しか描けない自分にもどってしまったとしたら、これはまさに自殺ものです。
 もちろんいまの私がもうりっぱになってしまっているといっているのではありません。だけどあのころよりはましになっていると思っています。そのまだましになったというようになるまで、私は二十年以上も地味な苦労をしたのです。失敗をかさね、冷汗をかいて、少しずつ、少しずつものがわかりかけてきているのです。なんで昔にもどれましょう。
 少年老いやすく学成りがたしとか。老いても学は成らないのかもしれません。
 でも、自分のやりかけた仕事を一歩ずつたゆみなく進んでいくのが、不思議なことだけれどこの世の生き甲斐なのです。若かったころ、たのしく遊んでいながら、ふと空(むな)しさが風のように心をよぎっていくことがありました。親からちゃんと愛されているのに、親たちの小さな欠点が見えてゆるさなかったこともありました。
 いま私はちょうど逆の立場になって、私の若いときによく似た欠点だらけの息子を愛し、めんどうな夫がたいせつで、半身付随の病気の母にできるだけのことをしたいのです。
 これはきっと私が自分の力でこの世をわたっていく大人になったせいだと思うのです。大人というものはどんなに苦労が多くても、自分の方から人を愛していける人間になることなんだと思います。
       いわさきちひろ  一九七二年


PS
ちひろの色々なグッズを売っているコーナーがあるのですが、まだ読んでいない次女のために「窓ぎわのトットちゃん」を買って帰りました。
売り上げ歴代1位の書籍。
黒柳徹子さんといわさきちひろさん。これ以上ない最強コンビです。
ちなみにちひろ美術館の館長さんは黒柳徹子さんです♪

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