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ふたりの父たちのこと

今日は父の日ですね。
先日は母たちの事を書いたので、今日は父の話をさせてください。

私も、夫も、遅い子だったので、年齢のわりには共に両親が高齢でした。
なので、亡き父たちは、どちらも大正生まれ。

実家の父は大正12年、関東大震災の年の生まれ。
嫁ぎ先の父は大正15年の生まれです。
大正15年は、12月に天皇陛下が崩御されて、昭和になったので、翌年は昭和2年なのですね。

なので義母は昭和2年生まれで、義父とは1歳違いでしたけど、大正15年と、昭和2年なのでした。

そして、どちらの父も戦争経験者でした。
どちらも海軍だったそうです。
でもあまり、戦争のときの話は聞いたことがありません。

実父は、海軍だったけれど、いつも所属の部隊が出陣する前に自分は移動になって、実際に戦地に行ったことは無かったのだと聞きました。
護られていたのだと思いますが、前にいた部隊の方は戦死されたりしたようなので、話しにくかったのかもしれません。

生死は紙ひとえなのだと、思うしかありません。
戦争中でなくてもね。


実家の父は、若いころに脊椎カリエスを発症して、2年間寝たきりだったそうです。
腰に傷痕があって、そこに穴が開いていて膿が出てたと言っていました。
そんな状態だったのだけど。
父の長兄さんが、当時「生長の家」の本を教えてくれて、次兄さんがひと月分の給料を使ってストレプトマイシンを買ってくれて。
その二人の愛念で、なんと、脊椎カリエスが快癒したのだそうです。

骨が溶けてた?のに、軟骨までが再生されたそうで、背の高さも、昔の人にしては170センチ超えで、背中もまっすぐ姿勢も良かったのです。

亡くなる数年前には、15センチも背が縮んだので、その時の軟骨が縮んだのかな?と思ったりしましたが。

その後に戦争があって、でも戦争のお陰で軍隊で知り合った方のお世話で、戦後はNHKの技術研究所で、カラーTVの研究をしていたとか。

そしてその後、生長の家創始者の谷口雅春先生に、生長の家本部会館の電気の事などをやってもらえないか?という誘いで、生長の家の本部に奉職する事になりました。
で、谷口先生の全国での講演のマイクの調整や録音などのために、全国巡行にずっと随行していました。

そんな中で、母を紹介されて、結婚したので、私が生まれた時にも、父はほとんど家に居ない事が多かったのです。
母は6人子供を産みましたが、お産のときには、一度も父は居た事がなかったので、母は今で言うワンオペで6人を育てていました。

わたしは6人きょうだいの中で、唯一の女子で長子でしたので、必然的に、母の助手でした。

父は、土日は休みではないし、早朝から出かけて、帰宅も遅く、あまり会う事がありませんでした。
なので、だんだん、思春期の頃になると「何をやってる人なのか?」と思うようになっていましたね。

でも母に聞くと「お父さんのすばらしさは、大人になったらわかるよ」と言うのです。

ただ、他の処でも書いたけど、私は「何故死ぬのに、何故生まれてきたのか?」が疑問の子どもだったのですよね。
父のお陰で、当時住んでいた団地の狭い部屋の中には、書物が溢れていまして。

片端から、って事もないけれど、色々な本をわからないながらも読んでいました。
そのお陰で、だんだん、何故生まれたの?という謎がわかってきたのですね。

なので、きっとやはり自分は「この両親をわざわざ選んで生まれて来たのだ」と思えるようになりました。

自分のブログに、関連記事あり。ご参考までに。


嫁ぎ先の父のことは、あまり詳しく知らずにきてしまいましたが、3歳くらいで産みの母を亡くして。
妹さんは1~2歳の頃だったようで、仏壇を見ると、生みのお母さまは数えで30歳だったようです。
そして、次のお母さんが連れ子さんを連れて来て、義母と結婚してからも、なかなか色々大変だったという話を、義母からは聞きました。

義父は、妹の学費のために、働きながら夜学の大学で学んで色々資格も取ったそうです。

そして、義父は「ぴんぴんコロリがいいから」と言っていて。
本当に、前日まで元気なまま、突然あちらに逝かれました。

どの人にも、どの人にもドラマがあるのだなぁ~と、思ったのでした。

そして、とにかく両親たちの時代は。
戦争を超えてきているので、私たちの「問題」なんて、ど~っていう事はないような時代だったのですよね。

義母は、嫁いでから当然のように、在宅介護で舅姑を自宅で看取っているし。
その前には、継母だった姑から、かなりいびられたようなのにね。

当時は、介護保険なんて無いし、介護ベッドもなくて。
むかし納戸に、古~い紙オムツの在庫があったのを見たけれど、今みたいな機能的なものでは、もちろん全然なくて。


なんて事を思うと、今の自分たちは何と恵まれていることかな~と思うのでした。
今の世に産まれさせていただけた事に、感謝して、そして後の世が、もっと平和で過ごせるように努力したいと思います。

トップ画像は、「subarasikiai」さんの画像をお借りしました。
なんとなく、父の面影と似ている気がしました。

読んでいただいて、ありがとうございます。

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