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「婚約指輪はどこへ消えた?」 第3話(全8話)小説 #創作大賞2024
「ほっといてよ! お母さんに買ってもらったわけじゃないんだから!」
そう言うと、蘭は席を立ち、リビングダイニングから出ていった。
「待ちなさい!」
蘭を追いかけるように母も部屋から出ていったが、女の戦いを仲裁することなどできない陽介は呆然と見つめるだけだった。
「ねえ、その時計いくらしたの?」
喧嘩のきっかけは母が蘭にしたこの質問だった。明らかに高額な時計に母が疑いの目を向けたのだ。
「値段なんて知らないわよ。お金なんてどうにでもなるんだから」
そう言うと、蘭はケラケラ笑った。
その小バカにした態度が神経質な母の気持ちを逆なでしたのだ。
昨日、日曜日、デパートの宝石店で赤坂にアドバイスをもらった陽介は今日、つまり、月曜日、仕事に行かなくてはいけなかった。
だが、電車に乗っていても、会社で仕事をしていても、家に帰って夕食を食べていても、消えた指輪のことが頭から離れることはなかった。
赤坂との話を要約するとこうだった。
「自宅で盗まれた可能性がある」
そう考えると、太陽が東から昇るように、当然のこととして蘭が容疑者として浮かんできた。
『お金なんてどうにでもなる』
そう軽く言い放った蘭の言葉が陽介の頭でリフレインした。
……やっぱり、蘭が僕の婚約指輪を盗んだのか?……。
陽介は赤坂に整理してもらった考えを元に推理した。
……盗むことができたのは木曜日の夜、自宅に置いてあるときしかない。次の日はずっと鍵のかかった更衣室のロッカーに保管してあったのだから。そうだ、よく考えると……僕が婚約指輪を買っていたことを知ることができた人間は蘭しかいない。どこで嗅ぎつけたのか、蘭は僕に彼女がいることを知っていたのだから……。
そこまで考えると、陽介は深いため息をついた。
「それにしても、妹を疑うなんて……」
だが、ふとその瞬間、あることがひらめいた。
「そうだ! もう一人だけいるじゃないか!」
自分の部屋のベッドに寝ころんでいた陽介は急いで起き上がった。
「僕が婚約指輪を買ったことを知っている人が!」
『あなたのおかけになった電話は……』
何度かけても、女性のアナウンスの声しか聞こえてこなかった。
「なんだよ、あいつ。全然、電話をとってくれないじゃないか!」
陽介が苛立った声で言った。
電話で連絡をとることを諦めた陽介はすぐにSNSを開いた。
メッセージを書き込むと同時に『既読』が浮かんでくることがいつものことだったからだ。だが、
「なんだよ……今日にかぎって、なんの反応もしない……あいつ、どこにいるんだよ?」
いつもはすぐ隣で見ていたのか、と陽介が疑ってしまうほど反応の早い『あいつ』とは幼なじみの裏田トオルのことだった。
すぐ近所、歩いて約十分のところに住むトオルとは小、中、高と同じ学校に通った。なるべく道に外れないように、とバカ正直に学校の勉強に向き合った陽介とは違い、トオルは幼少期から奔放な性格の持ち主だった。
学校をずる休みすることも多く、授業もろくに聞くことはなかった。
そんなトオルの将来を心配した陽介はよく真面目に頑張るようにと、小言をいった。だが、
「でも、その割にオレと成績一緒だな」
と、陽介の核心をついた。
不良というわけではないが、そういった友人たちとも分け隔てなく付き合うトオルはいわゆる『遊び人』だった。
小さなバーを経営するトオルは、女癖も決していいとはいえなかった。
「なあ、これなに?」
そう言うと、茶髪に耳に小さなピアスをしたトオルは赤坂に預かってもらっていた赤の手提げ袋を指さした。
木曜日の夜、この部屋で、二人で会ったことを陽介はついさっき思い出したのだ。あの夜は、たまたまトオルは店が休みだった。
「あ、得意様へのプレゼント」
陽介はなるべく表情に出ないように、平然と答えた。
「へー、そうなんだ」
……こいつにばれると厄介だ。万が一、ミカちゃんにプロポーズを断られたことが知れたら、一生笑いのネタにされる……。
どうやらばれていないようで、トオルは指輪の入った袋から視線を移した。陽介はほっとした。だが、
「って、嘘つくなよ! 陽介」
ほっとしたのも束の間、トオルがニヤニヤしながら言った。
「嘘なんかついてない」
「だって、お前——」そう言うと、トオルは陽介を指さした。「鼻、触ってるぜ」
……あちゃあ……癖が出てしまった……。
ちなみにだが、幼少期からトオルと妹の蘭は気が合い、今でもよく蘭がトオルの店に遊びに行く仲だった。
悪友をだますことは難しいと判断した陽介は、素直に指輪の話をした。
「エー! マジか! お前、プロポーズするのかよ!」
「シッ! 声がでかいよ!」
家族にも言ってないことを告げ、どうにかその口を塞いだが、
「めでたい! あの頼りない陽介が結婚だって! よしっ! 今から祝い酒だ!」
これからどこかへ飲みに行こう、というトオルを納得するため、この部屋でビールを一本だけ飲んだ。
「そういえば……あのとき……僕がビールを取りにいっているあいだ、トオルはこの部屋でひとりいた……チャンスがなかったわけじゃないんだ……」
そうつぶやくと、空っぽのジュエリーケースを陽介は見つめた。
だが、すぐに陽介は自分を責めた。
「いくらあいつだって……幼なじみの指輪を盗むはずがない」
そう信じたかった。しかし、幼少期からこれまでのトオルの言動を思い返した陽介は疑う心を振り払うことができなかった。それも無理はなかった。
「なあ、頼む! なんとか貸してくれないか!」
これまで貸したお金がほとんど戻ってきていなかったからだ。
店の運転資金には困っていなかったようだが、陽介から借りたトオルの借金はおもにデート代に充てられていた。
「お前のお金がオレの財布にあるだけのことじゃん」
陽介が返済を迫ると、トオルはいつもそう言ってごまかした。
「盗まれた可能性があるのは『自宅』と考えられますね」
その夜、赤坂さんのこの言葉が陽介の頭から消えることはなかった。その問いは自然と次の疑惑を導いた。
……あの夜、この部屋で指輪を盗むことができたのは誰か?……。
その疑問に答えるように、陽介の頭の中に二人の顔が交互に浮かんでは消えた。
……分不相応に見える高価な時計をはめた蘭……いっこうに連絡をとれない金にルーズなトオル……。
結局朝まで、どれだけ待っても、トオルからの連絡が来ることはなかった。
翌日、火曜日、言うまでもないことだが、仕事に集中することは難しかった。
「あれ? まだ連絡してくれてなかったの?」
パワハラと言われるのを恐れた課長がやんわりと陽介のミスを指摘した。
急いで連絡を取ったが、相手に謝罪する間も陽介の頭から二人の顔が消えることはなかった。
どうにか仕事を終え、定時に会社を出たところで、陽介のスマホが小刻みに揺れた。
「やっとトオルから連絡が来たか」
帰宅ラッシュで人が溢れる改札口の前で陽介は小さな声でそうつぶやいた。
「川野様」
耳障りのよい、綺麗な声だった。「少し、ご相談が」
急いで陽介は人ごみの少ない場所に移動した。
「どうしました? 赤坂さん」電話の相手はトオルではなかった。
「あの、実は——」
立て板に水、という言葉がぴったりの赤坂の口調が明らかに困惑していた。陽介はその異変を感じ、たずねた。
「なにか問題でもあったんですか?」
「ええ、それが」そこまで言うと、赤坂が少しだけ間を置いた。
「指輪を盗んだ犯人がわかったかもしれません」
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