「大畑さんはその先を見てるよね」と言われたことがあります。その先、それを言われた時、自分の中では「コンテンツ(作品数)」を指しました。
今回はそのお話を。
「マンガ家になりたい」と7歳の時に抱いた夢は週刊連載のマンガ家さんのアシスタントを経験したことで現実の厳しさを痛感…夢を諦め地元に帰ったのが21歳の2月。
2003年当時は「都会に行かないとイラストの仕事はない」と言われてました。
これから先、木曽という片田舎でもイラストの仕事をもらい、イラストレーターとしてやっていくためにはどうしたら良いか。
インターネットも今なんてレベルじゃなく、イラストの画素数を相当下げないと画像をメールで送信するにも受信するにも大変(当時の自分の知識がなかっただけかもだけど)でした。
それでもと思いインターネットで片田舎でも仕事ができるには、と検索して見つけた答えは
①個性があること
②有名になること
③作品数をたくさん作ること
今回はこの③のお話をしますね。
あ、先に言うと自分が今仕事としてイラストレーターをするまでには、他の仕事、惣菜屋さん、印刷業、製造業をしながら、副業でたまに頂くイラストのお仕事をポツポツとしてました。
自分ができることは、順番で言えば③、①、②です。
まずは作品の数、仕事してきた数、がどれだけあるか。逆に数が無いとダメだと作品集を作ることからはじめました。別の言い方ではポートフォリオって言いますね。
2003年2月時点ではあおいぼく一枚絵本が10作もなかったかも。
今はあおいぼく一枚絵本が293作、ことばんそうこうシールが296作、もうすぐ600作品になります。他の作品も入れると、もっとあります。
はじめましての方からすると作品数約600もの作品が全て新作であるわけです。『え?そんなにあるの?』ってなりませんか?
これは記事も同じ。だと僕は思っています。
いらっしゃいませとなった時、作品や観れるものが多いほどその人の思いややる気が伝わりますよね。
投稿数から仕事に繋がったり、本を出したり、テレビに出たり、って何かに繋がっている方もいますよね。
まずは表現、発信からですね。
18年前の2月、あの頃から比べると今なんてすごく良い環境。
インターネットも、世の中に発信、発表する方法も、ソフトやアプリの内容も。
21歳からの18年やってると、マンガ家を目指し始めた7歳からすると32年やってると、意識、気付き、考えること、感じること、のアンテナを貼ることが高く感度良くなっていると思えるのも作品を創る習慣が身に付いているからだと思います。
最後に、そのコンテンツ数の先を。
とりあえず尊敬している星新一さんの1001作品は越えたいな。
そして、上松町=あおいぼく、ことばんそうこうの町→癒しの町、心の休憩の町としての認識してもらえること。
小さくても大畑哲也美術館、資料館、を作りたい。です。
といってもそれは目標の一部。
根本はももっとシンプルだけどね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?