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存在を隠して、でも存在を認めてほしい、透明人間だった自分を見つけてもらうこと。
実は無意識に自分が知っている事を意識してみるとあるセッションをしまして、自分は「透明人間」ということにたどり着きました。
何とかしたくてもできなかった幼少期の体験が今までの自分を作りあげている
なるほど、だからかー!
ってことが今までたくさんありました。
ぶっちゃけると、自己の存在の否定、存在の消滅、を考える部分が子供の頃にありながらも
存在を見つけてほしい、ここに自分がいることをわかってほしい、という行動をすることをしてました。
矛盾してますが、これが透明人間の意味だったなって。
自己分析して『静かに行動力がある』のはきっとこの幼少期のきっかけと、これまでの経験が今の自分になっているんだと思うとすごい納得しました。
と同時に、無意識のうちに『行動しか存在を証明できない』としていたことに驚きました。
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あおいぼく一枚絵本〜ここにいるよって触れてくれたね。〜
ひとりじゃないって理解する、自分を自覚する、それは自分じゃない誰かに触れてもらうことで解決するのかもしれないなって。
体でも心でも、自分を感じる、相手を感じる、からこそここに自分がいることを理解して透明じゃない自分にホッとする。
もちろん自分で自分を理解できるのもいいことですしね(^^)
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あおいぼく一枚絵本〜どこにもいない透明人間〜
この作品の続きが描けた気持ちです。
もうひとりの自分がいて透明人間じゃなくなった感覚、多分それは幼少期の自分をそっと『大丈夫だよ』ってハグしてる感覚に近いのかもしれないなー。