見出し画像

【京都検定】華道まとめ

お立ち寄りいただきましてありがとうございます。

四条通りの河原町から烏丸まで。
特にこれといった用事がなかったり、買い物だったりの時は地上を散策するのですが、急いでいるときなどは地下を歩きます。
信号、結構ストレスなんですよね。。。

そんな地下道を歩いているときに、大丸さんで華道展があるということで、池坊さんの様式と歴史がディスプレイされていました。

普段ならそうなんだーという感じでチラ見して通り過ぎるのですが、試験で焦っている身としては見過ごせません。
ありがたく勉強させていただきます。。

※掲載した写真は、ディスプレイされていたものを引用として撮影させていただきました。
ありがとうございます。

【学習メモ】
いけばなは、仏前に供える「供華」に始まるが、平安時代には貴族の物合わせの遊びの一つとして、栽培した花の優劣を争う花合わせが生まれた。
室町時代には、書院造が武家や貴族の間に広まったことから、瓶花を置いて鑑賞することが普及して、飾り方を理論化した花伝書が作られる様になった。
十五世紀ごろには、七夕の法会などの催しに花を立てることが盛んになり、「立て花」の名手が誕生する。
中でも「六角堂頂法寺」の執行池坊専慶が名手として名を上げ、以降立て花は池坊の家業となった。

京都・観光文化検定試験 公式テキストブック

以下、テキストブックと照らし合わせながら。

歴史

室町時代末期の専応は、池坊のいけばなを体系化した「専応口伝」を残している。
初代専好は大名邸の豊臣秀吉の御成の席に重用され、荘厳な大瓶の「立華」を立てた。

二代目専好は後水尾天皇に召されて禁裏の花会を指導し、立華を大成させた。

十八世紀に入ると、町人まで大衆化されていき「立華」および「抛入花」から発展した「生花」が生まれた。

毎回試験に出るので、まとめられて良かった。。

今回はこちらで終了です。
少しの間こんな記事が続くかも。。。

それではまた。

マリオもあった。

水のステージ苦手だったなぁ

ここも苦手だった(笑)

いいなと思ったら応援しよう!

Arie
よろしければサポートお願いします! いただいたサポートは京都検定対策に使わせていただき、結果を記事として掲載していきます。