戦場のメリークリスマス
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やはり画に緊張感がある。
子どもの頃に見て、その頃のバカな記者が、この作品のメッセージは何かと質問して、不機嫌になった監督の大島渚が見ての通りだと言ったという、そんな話を当時、ラジオかテレビで聞いた。子どもにはよく分からなかったが、年を取ってみると、大島渚が言った通り、愛以外にない。同性愛とか、戦場と言う極限状態における異常愛だとか、いろんなことを考えることができて、よく分からなくなるけど、そういうものを包含して愛とは何だろうと、大島渚が怒りながら一緒に考えようと呼びかけてくれている。
主人公の坂本龍一のヨノイ大尉は、化粧がほどこされていて、子どもの目にも同性愛者だと分かった。子どもの目には、タックの入った軍服ズボンがかっこよく映った。作品のメッセージより、そんな枝葉末節が記憶に残るのが子どもの目だ。
捕虜のデビッド・ボーイも音楽家だが、やはり歌える人は演技ができる。歌うように演じ、演じるように歌う、というのができる人だと改めて思い知らされる。
たけしの原軍曹が首に掛けている数珠が、日蓮系のものだ。こんなことは子どもには分からない。たまたま小道具担当が買った数珠が日蓮宗のものだったのかもしれないが、やはり戦前の日蓮主義によるものだと考えるべきだろう。何宗の数珠であろうと、それが作品の評価に大きく影響するわけではない。たけしが数珠を首に掛けているだけで、伝統を重んじる日本人だとわかる。そこに日蓮系の信仰が加われば、なおさら意思の堅い人間だとなる。そんなところにまで配慮があるくらいだから、画像の隅々にまで緊張感があって、歴史に残る名画となったのだ。