風と共に去りぬ
3
自分ファーストこそ生きる力
主人公のスカーレットがすごくわがままだ。冒頭から、男2人におべっかを使われていい気になってて、パーティでも男たちに囲まれて女王様気取りに振る舞う。とにかく嫌な女だけど、力強く生きている。もしこんな女が今の日本にいたら、つまはじきにされるだろうけど、適当に周囲と調子を合わせて無難に生きるより、ずっといい生き方ができるかもしれない。
1937年、戦前、ざっくり百年近くも前に作られたと思うと、不思議な気がする。古臭くない。昔の映画という感じはもちろんするが、鑑賞の邪魔になることはなく、おもしろさが先に立つ。セットや衣装にも力が入ってるのが感じられて、やはり一生懸命作ったものが残るという感を強くする。
主人公スカーレットは、アメリカ南部の上流家庭の娘。思いを寄せる男がいるが、彼にはすでに結婚相手が決まっている。それでもスカーレットは果敢にアタックして、微妙な空気を作り出す。そして、好きでもない妹の彼氏と結婚したり、激情に任せて行動しては、周囲に迷惑をまき散らす。
好きなドレスを着て、したいことだけをする暮らしをしていたスカーレットも、南北戦争で北軍が迫ってくると、さすがに好き勝手ばかりはしていられなくなる。野戦病院で看護師の手伝いをしたりする。が、ずっとわがままだけで生きてきた女だけに、すぐ音を上げる。そして身内の女が出産しそうになると、戦傷者の治療で大わらわの医者が診察に来てくれないとブーたれる。
町に北軍の爆撃が迫りくると、男が盗んできた馬車で街を逃げ出す。男は途中で軍に加わると言って去り、スカーレットは、男が休ませようと言った馬に鞭を入れ、死ぬまで走らせて故郷に帰る。馬も他人も皆、自分が生き残るための道具なのだから、それが死ぬかどうかなど知ったこっちゃないのだろう。
そんなスカーレットも、どうにも食うに困ると、畑仕事をするようになる。自分のために動く道具が、自分しかないのであれば、それも仕方なかろう。盗みに入った兵士を逆に撃ち殺し、金目の物を抜き取り、死体を埋めたりもする。
そんなスカーレットに、変わり者の男レットが求婚する。スカーレットは、以前から思いを抱いていた男をずっと思い続けていたのだが、レットのキスと金に参らされて結婚する。
なんか書いてて、スカーレットはほんとにクソ女だという感じになってきた。でも、生きた時代を考えれば、これぐらいのバイタリティが必要だったということか。いや、今の日本でも、このくらいはじけてた方が、楽しい人生を送れるのかもしれない。
正直なところ、こんなわがままな人が周りにいたら嫌だし、一緒に仕事をする相手だったりしたらたまらない。けど、世の中のなにがしか名を成した人は、スカーレット要素が強いように見える。田舎町で波風立たないように暮らしていたら、平穏な一生を終えることはできるだろうが、楽しい人生を送れるかどうか。ましてや死して名を残すような仕事ができるとは到底思えない。
人に嫌われるのは覚悟の上で、自分は生き抜く、家族にひもじい思いはさせない、という強い思いで生きようとしたら、スカーレットみたいにならざるをえない。トランプもプーチンも、おそらく人の意見に耳を傾けたりしないのだろう。テクニカルな部分で情報を仕入れることは無論するだろうが、方針を決めるのに、人の意見で揺れるようなことはないだろうから、スカーレットみたいな感じなのだろう。
振り返れば、子どもの頃は、自分もスカーレットだった。自分がやりたいと思ったことを、やりたいと言った。やりたいように行動した。それが、親や先生といった大人たちに咎められる経験を重ねるうち、いつか思うままに行動することはなくなった。やりたいことを反射的に抑え、無意識のうちに周りの人を伺い、自分より他人の空気を優先するようになっていた。
そして同時に、元気よく生きることがなくなっていた。自分を抑え周りに合わせることで、波風は立たないものの、おもしろみのない人生を歩んでいた。
スカーレットとして生きるには、周りとの軋轢を覚悟しなければならない。ノンスカーレットで生きれば、大きな諍いは起きないだろうが、おもしろくない。どっちがいいという話ではない。良し悪しや価値ではなく、いずれを選ぶかは好みの問題だ。
好き勝手して生きてきたスカーレットは、最後に夫のレットにも愛想をつかされる。当然だ。それでもスカーレットは、レットの心を取り戻そうとして映画は終わる。この女は、どんなになっても希望を失わない。これが生きる力だ。元気の源だ。傍から見れば、スカーレットがどんなに美人でも、その容色はいつか衰えるし、心がねじくれていれば付き合いは避けたい。しかしスカーレット本人は、どんな状況になっても、希望を失わない。これこそがスカーレットの真の魅力だ。
人は希望さえあれば生きられる。クソ女にしか見えないスカーレットの魅力は、どこまで行っても希望を失わないところにある。自分本位で周りに迷惑をかけまくっても、むしろそれだからこそ自分の未来に希望を失わない。そんな生き方が難しいからこそ、この作品はずっと名作としてあり続けてきたのだろう。