ヘイトフルエイト

認めたくないけど、やっぱり残虐なものはおもしろい

 緊張感がすごい。見ていて、一瞬も目が離せない。見終わって、何も残らない。これを見て、人生の教訓などは得られない。それでいて、すごく面白かった。

 雪国を、賞金稼ぎを乗せた駅馬車が走っている。それに乗り合わせる奴がいて、やはり賞金稼ぎ。時代は南北戦争の直後で、リンカーンの手紙を持っていることで車中が盛り上がる。そして吹雪がひどくなり、たどり着いた店には、生け捕りにした女お尋ね人を助け出そうとする仲間たちがいて、ひと悶着起きる。そして、みんな死ぬ。

 あらすじを書くと、こんな具合だ。筋などないに等しい。それでこれだけ見せるのだから、すごいとしか言いようがない。タランティーノは「パルプフィクション」で魅せられて、葬式の時に流してほしい映画3本のうちの一つ。貼り交ぜ屏風のようなパルプフィクションに比して、この作品は全体の筋が通っていて、普通ならそれがプラス点になるのだろうが、あっちこっち行った感の強いパルプフィクションの方が、印象は強烈だった。

 パルプフィクションにしろヘイトフルエイトにしろ、面白さの元は暴力だ。映像とか音楽とかの要素があるのはもちろんだが、それを生かせる台本に暴力がある。どうしたって人は、おそらくは動物も、暴力に一番敏感なはずだ。生命を損なわないための本能的なものだろう。フロイトだかも、戦争は人間の本性だ、みたいなことを言っていた。こういう映画を面白いと思ってしまう以上、それを認めざるを得ない。

いまニュースを見ていると、プーチンは残酷だ、みたいなことを他人事のように思ってしまうが、人を殺してまでも領土を守ろう、領土を広げようとするのを、単純に暴力的人間の行為として批判できはしない。戦争をする人の目的が、自らの地位の保全か、国民の利益増加か、他者の蹂躙か、そんなことは分からないけど、この映画の登場人物は、人が撃たれたり首を吊るされたりするのを見て、大爆笑していた。

人間は人が死ぬのを見て、笑うものなのか。自分が殺されそうになっている状況で、敵が殺されて、危機を脱した安心感から笑うのは理解できる。首を吊られて、苦悶に体を揺すぶる人を見て笑うのは、どう解釈すればいいのだろう。他人の不幸は蜜の味、という意味で、人が苦しむのを見ると、相対的に自分の幸福が確認でき、笑いがこみあげてくるのだろうか。

 優越の笑いには違和感や不快感が生じるのを禁じ得ないが、勝つこと、同時に相手を負かすことに快が生じることも否定し得ない。日本語では笑いと笑みに同じ文字を使うが、laughとsmileとまったく違う単語を使っているアメリカでは、他人の不幸は純粋に笑いの対象となりやすいのかもしれない。もちろん個人差が大きく、この映画の登場人物のように、人殺しも平気な人たちだからこそ、こんな状況が笑えるということではあるのだろう。

 なんにしても、人殺しを見て、おもしろい、と自分も思え、そしてこの映画がヒットしている事実からしても、人間は人殺しを見て快を生じる生き物だと考えて、大きくは間違ってないはずだ。ロシアやイスラエルを見て、なんでそんなひどいことを、というような他人事の批判などできようわけがない。

国際法で市民への攻撃は禁じられているが、戦争をすることそのものは禁じられていない。禁じたって守られるはずがないということなのかどうなのか知らないが、なんにしても自分にも人並な残虐性があることを、この映画は思い知らしてくれる。


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