レッド・ワン
3
悪い子はいねえか
いたずらっ子がクリスマス前、親たちの用意したプレゼントの隠し場所を、他の子どもたちにばらして、サンタなんかいないと教える。それを見た大人が、悪い子リストに載せられるぞと脅かすが、どこ吹く風。大人になっても気性は変わらず、誰から依頼されたか分からない悪事で稼ぐ人になる。が、その仕事の一つがサンタの存在を危ぶませることになり、サンタ警護官につかまり、一緒に悪事の依頼元の魔女を探し出して、やっつける。
クリスマス映画は安心して見られる。実は北の方にサンタの国があって、妖精や動物たちがプレゼントの準備をしていて、サンタは一晩で配れるように体力づくりに余念がなく、あのいつも映画に出てくるおもちゃ屋で子どもたちと話すサンタは本物で、子どもから聞いたおもちゃの希望はすべて覚えていて、クリスマスの晩はものすごいハイテクのソリで高速移動し、体の大きさも伸縮自在で煙突も一瞬で潜り抜けられる。
その警護官はもちろん最強で、誰がかかってきてもねじ伏せるから、どんな悪者が登場しても、ドキドキすることなく見てられる。味方にシロクマもいるし、おもちゃを本物にして戦いに使ったりするから、子どもも戦闘シーンをワクワク見られるはずだ。
たわいのない子ども向けと思える映画の中で、印象に残ったのが、悪い子リストだ。悪い子がリストアップされ、この子たちのところには、サンタが行かないのだろう。だが、作中のセリフでもあったが、良い悪いを言い出すと、人間だれしも何かしら悪いことをしていて、みんな悪い子にせざるを得なくなる。
たとえば生き物を殺すことが悪い、とすると、たいがいの人は蚊をたたいているだろうから、全員が悪人だ。人を殺すのはおそらく悪い子だろうが、けんかをしてて当たり所が悪くて殺してしまうこともないではない。では、殺す意図を持っていて当たり所が悪かった場合は悪い子か、と考えてみると、人はけっこうちょくちょく、殺すぞコラぁ、と腹の中で思ってしまっている。そんな時に当たり所が悪かったら、これは8割方悪い子だとは思うけど、おそらく自分にもそんな瞬間が訪れて不思議はなくて、良い子・悪い子の境界線は結局引けないと思ってしまう。
この映画の主人公は、サンタを信じない悪い子が成長した大人で、今の闇バイトさながら、きっと悪いことに加担していると感じつつ、悪事の依頼を引き受けて稼いでいる。
仏教では殺生を禁じているが、肉を食べるのは禁じていない。自分が殺した肉が許されないのは当然として、自分の指示で誰かが殺した肉も食べてはいけない。食べられるのは、自分の知らないところで殺された動物の肉に限られる。勝手な理屈だとは思うけど、布施されたものを食べずに捨てるのも許されないから、落としどころとしてこんなことになったのだろう。
この映画の主人公は、悪いこととはうすうす感じながら注文を受けて、間接的に悪事を働いていた。殺されたものと知りながら、僧侶が肉を食べているようなものだ。
この人を悪いと言えるかどうかだ。悪事は報酬が高いのだから、当然まっとうでない仕事だと見当が付く。それを承知でしているのだから、悪いには違いない。しかし自分に引き当ててみて、大元の魔女からの依頼は引き受けないにしても、その下請け、孫請け、さらに、となったら、もしかしたらどこかで悪事に関わっているかもしれないと不安になってくる。
歎異抄に、条件さえ揃えば人は殺生することになると、書いてあったが、間接的な悪に手を染める悪人を考えたら、あらゆる存在は悪になる。あらゆる存在が悪だったら、悪も善もないことになるのだけれど、ではその線引きは、となると、境界線は引けない。善悪の比率の問題ということなのだろうが、けっこう幅広いグレーゾーンができてしまう。
サンタの悪い子リストはどうなっているのだろう。すべての子の名前が載っているのだろうか。そんなことはない。この作品のサンタは、ものすごいスピードでおもちゃを配りまくっていた。プレゼントをもらえる良い子がいるということだ。
NHKのテレビで「悪い子あつまれ」という番組があるが、出てくる子たちはみんないい子に見える。ぜんぜん悪い子集まってないよって、ツッコミが頭に浮かぶが、そんなことは承知で制作されているはずだ。良い子とか悪い子とか、人間に規定することなどおそらくできないのだ。
この映画が安心して見てられるのは、いわゆる勧善懲悪のストーリーだからだ。良い子・悪い子について観客に考えさせながら、やっつけられる魔女がなんで悪いのか、いまひとつ分からない。悪い奴だから悪い、みたいな前提で話が進んでて、ここを突き詰めたら、悪い子ノートに載せられるのがどんな子なのか、少し見えてくるのかもしれない。でも、良い悪いの判断基準は突き詰めていくと結局、好き嫌いということになるから、やっぱり悪い子ノートには全ての子の名前が載っていて、その時その時の状況に応じて、名前が浮かんだり消えたりしているのだろう。