謝罪の王様

誤ればたいがいのことは済まされる

 そういえば一時、土下座が流行っていた。といって土下座の実物を見たことはないけど、なんかネットでよく土下座という単語をよく見た。ガチャガチャにもなってた。最近は、銀行で見たカスハラ防止ポスターに、禁止項目の一つとして、土下座の強要、というのがあった。謝罪の最高技だった土下座が、悪い奴が利用する武器に変じてしまった感がある。

 「なんかすみません」。最悪の言い回しだ。通りすがりにたまたま誰かが言われたのを聞いたとしても、怒りが湧いてくる。その対極にあるのが土下座だ。

 本作の始めの方で、怒りへの対処法が説明される。何より相手の話を聞くことだという。怒っている人は、何を言っても聞く耳を持たない。聞ける状態にない。「たしかに」と相槌を打っていればよくて、その相槌は「ぱしかに」でも、さらに「パスカル」になっても、気づかれないくらい、人の言うことを聞けていないから、とにかく聞き役に徹することだという。

これには、たしかに、と思ってしまった。怒っている人に、筋の通った道理をどんなに説明したところで、怒りに油を注ぐだけだということは、かみさんで何度となく実証済みだ。

 理屈より謝罪。謝罪は、有罪判決や懲役より、よほど被害者の心を慰める。死刑が執行されても、被害者遺族の気持ちは収まらなかったというのはよく聞く話だ。被害者遺族の意見を服役中の犯人に伝える制度が始まったが、思わぬ反応が返ってきて、さらに傷ついたという記事もあった。被害を受けた人が求めているのは、心の問題だ。

 過去は変えられない。できることは、失敗を繰り返さないために努力することと、被害を与えてしまった人への謝罪、しかない。

 本作では、やくざ、芸能人、国際問題と、際立った事例が並ぶ。その中で記憶に残るのが、謝れない人たちだ。被害者が苦しいのはもちろんだが、人を苦しめたという意識を持ち続けて生きるのも、普通の感覚を持つ人にはたいへんな苦行だ。

この作品で出てくるのは、外国暮らしが長くて謝罪は悪だと思っている人、謝るのに慣れてなくて率直な言葉が出せない人だ。

「ごめんなさい」は「負けました」と同じくらい発しにくい言葉かもしれない。将棋教室で最初に習うのは、始める時の「お願いします」と終わった時の「負けました」をはっきり言うことだと聞いた。ごにょごにょ言うんじゃなくて、はっきり「負けました」と言うよう躾られる。それは、現実を認めることだ。現実に向き合えた人が、強くなれるのだろう。

「なんかすみません」と言う時は、自分の非を認めてない時だ。将棋で負けた時は、あきらかに勝ち負けが見えるから、認めざるをえないけど、謝る場面では、なにかしら屁理屈をつけて、自分が悪くないと言えてしまう。だから謝るのは難しい。自分に不都合な現実と向き合うことは、非常に難しい。

 人はえてして、努力なくして成果を得ようとする。同時に、怠惰なままで責任から逃れようとする。

それで、謝るべきことに謝らないでいてしまったりするのだが、そうするとずっと苦しみ続けることになる。悪いことをしたと知っている自分を消し去ることはできない。被害者も苦しいし、ずっと胸にトゲが刺さったままの人も苦しい。

 誰かに迷惑をかけたら、謝ればいい。それでほとんどは解決するのだから。法的措置なんかより、よほど相手の気持ちも安らぐし、双方が楽になれる。そして何より、そこから新たな一歩が踏み出せるのだから。


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