コンペティション
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人間って突き詰めたら、いい加減としちめんどくさい、の2種類になるのかもしれない
金持ちが、死後に残るものをと、映画製作を思い立つ。映画をよく知らないから、著名な監督、出演者を、金にあかして集める。主役の2人に呼ばれたのが、演技にうるさい役者とギョーカイでうまく立ち回るタレントだった。二人は当然、なにかとぶつかり合う。
はじめのうち、作品作りに真摯に向き合う役者に感情移入した。それが見てるうち、だんだんこの人の真面目さ、時に融通の利かなさが、うっとうしく感じだした。そしてチャランポランに見えたタレントにも、真っ当さがあることに気づいてきた。むろんタレントが真人間だとは思えないが、自分にもこのタレントのような無責任の要素はなくはないと気付いてしまった。
さらに話が進んでいくと、役者は自分が真面目に芝居に取り組んでいるがゆえに、タレントを馬鹿にする、その姿が増上慢に見えてきた。確かに、タレントが馬鹿なことには間違いないのだけれど、それを批判するのはどうかという気がしてしまう。
人にはいろんな要素がある。仏教では十界互具といって、誰にでも仏から鬼まで、いろんな面があると教えている。人にダメなところがあるのは事実だ。ひるがえって、自分にもだめなところがあるのも事実だ。事実を指摘されるのは耳が痛いが、そこから成長への可能性がある。でも批判はお互いに利益がない。
誰にでも仏から鬼まで様々な面がある。他人の姿は、同じ要素を持つ自分を映し出す鏡でもある。仏教は、人のなすことを言うな、自分が何をしたかを気にしろ、とも言っている。いい加減もしちめんどくさいのも、一瞬、他者の欠点に思えるが、よくよく見返せば、どちらも自分の中にある。人との違いをうんぬんしている場合ではない。主役である自分が、ちゃんと仕事をできているのか。自分がちゃんとできていれば、人を批判する無駄もなくなる。