グランパ・ウォーズ
3
戦争は止められない、始めたら不幸が増えるだけ
主人公の老人は、心配する娘と同居することになる。孫の男の子が使ってた部屋に暮らすことになり、孫は友達にそそのかされて、部屋を返すよう宣戦布告する。二人はしょうもない意地悪をし合い、最後は家が大きく壊れて、平和の大切さに気付く。
スーパー店員に食べ物を投げつける迷惑老人とか、ウクライナ戦争みたいに闘いがだんだんエスカレートしていくのとか、まさに今を感じさせた。
なんにしても、戦いは見ていて心地よくない。それも家族のいさかいはなおのことだ。たわいない悪戯の応酬だが、人がいがみあうのを2時間見続けるのはきつい。途中で仲良くなって意地悪な上級生を一緒にやっつけるのかと予想したが、はずれた。
今もいろんなところで人と人が争っているが、その発端は皆ささいなことだったのだろう。自分の子どもの頃の兄弟げんかにしても、泣かされるまで喧嘩して、親にどっちが先に手を出したのか、何が原因なのかと聞かれるが、たいがい思い出せなかった。火種の小さいところで、どちらかが少し堪忍すれば、大きな喧嘩にならずにすむ。できれば、大きい方が我慢すべきだ。小さい方は、意図して我慢しなくても、日常的に力によって我慢させられているのだから。
作中でおじいさんが、家族は攻撃しないとかのルールを決める。孫は戦争にルールなんてあるのかと尋ねる。じいさんは現実の法にならって決めるが、実際のところ、戦争にルールを求めるのは無理だ。子どもの直感が正しい。子どもの世界では、腕力がそのままものを言うから、大人よりも無法社会をよく理解できている。
ロシアのウクライナ侵攻が国際法に反していると何度もニュースで聞いたが、法を守るような精神状態でいるなら、他国に攻め込んだりすることはない。闘いを始める時、すでに冷静でないのに、相手から攻められると、さらに感情が高ぶっていく。恨みで戦争が終わることはないと、2500年前に釈迦が言っているが、何千年たっても人は同じことを繰り返す。
孫が戦争はいけないと語った時、じいさんは、ばあさんが死んだ悲しみを忘れられて良かったと言った。戦争には、こういう利点もある。苦境にある者にとっては、戦争という危険に直面することで、他の苦しみを忘れられるのはありがたい。また戦争になれば幸せだった人も苦しみ、みんな平等に不幸になるとの思いが人間には湧くことも、否定しきれない。
古来あらゆる人がずっと平和を求めながら、戦争がなくなったことはない。未来のある孫が戦争はいけないと言い、老い先短いじいさんが戦争も全く無意味ではないと言ったのは、なんか象徴的だ。