ウィ、シェフ!

どこにいても希望が持てる間は楽しい

 一流レストランで働いていた料理人が、オーナーシェフと喧嘩して、やっと探しあてた再就職先が未成年難民の支援施設。ここでも職員や難民と軋轢を生むが、一人ではどうにも料理を作り切れず、手伝いを難民に頼んだところから料理教室のような状態になり、難民の少年たちと打ち解け、そしてテレビの料理番組に難民の子たちを出演させる。結局ラストは、強制退去させられた難民たちの写真が写し出されるが、次の若者たちが料理を学ぼうとする様子で幕。

 主人公の女料理人が、我が強い。自分のレシピはかたくなに守るし、他人と妥協することがしない。これではどこに行ってもうまくいかないだろうと思わせられる。それでも難民施設では、料理の先生として敬われ、少年たちに希望を与えることになる。

 フランスでの難民がどんななのか、よく知らないが、この映画からもやっかいもの扱いされているのだろうことは想像できる。日本にいては、この感じが分かりにくい。日本が植民地にした東アジアの国から、移り住む人が少なからずいるが、難民という扱いではない。いま日本にいる難民は、ミャンマーとかウクライナとかの人だ。ウクライナは脚光を浴びているが、以前から避難してきているアジア南部の人たちは、なかなか難民認定されないとずっと言われている。

 この映画の難民は主にアフリカから来てるみたいだけど、未成年の子だけで来てるのか、それとも家族で逃げてきて住んでる施設が別なのか、まったく分からないけど、なんにしてもこんな民間のボランティアみたいなところが支えている現実があるのだろう。植民地にして搾取した地域の人たちには、なにかしら国として対処しなくてはと思うのは、他人事だからか。

 料理を教えようとする主人公に、自分の国で男は料理しない、と怒る人がいたりする。他国に逃げるなら、行った先の習慣に合わそうとしろよ、と言いたくなるが、故国を去りたくないのに、逃げざるを得ない状況に追い込まれたのだろうと思うと、イライラを抑えろというのも無理な話だ。

川口でクルド人がたくさんいて問題になっていると時々報道される。外国人がいると、いろんな価値観が暮らしに入って活気が出ると思う。でも、弱い人は同朋と一緒につるみたがる。チャイナタウンとかリトルトーキョーとかがいろんなところにあるように、少しでも心細さを減らそうとしてきたのだろう。でももともと住んでいる人たちにしてみれば、細々と暮らしているクルド人の一家族なら手を差し伸べようとするかもしれないが、大勢で堂々となじみのない暮らしを送っている集団がいたら、それは不気味で恐い人たちに見えてしまう。人には未知が恐怖であり、外国人でも宗教でも、大きな未知が身近にあれば不安になるのが生き物として当然だ。

 この映画の青少年たちは、料理を教わることで、シェフになるとか店を開くとか、夢を持つことができた。サッカーで時間をつぶしていた人たちが、自分の将来像を描けるようになり、目的をもって日々を過ごすようになり、表情も明るくなった。映画としては、最後は強制帰国させられたというストーリーで、社会派な作品にも映るが、希望を持つことができていた間だけでも、青少年たちが生き生きと過ごすことができたというメッセージは、地域や時を超えて人に勇気を与えてくれる。

 原題のbrigadeは、組織や階級という意味。料理界での上下関係や、世界の政治構造などが表れているが、作中で何度も明るく発せられた「ウィシェフ」という言葉の邦題の方が元気が出る。

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