クレイマー、クレイマー
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裁判はすべきでない
主婦を押し付けられて自分のしたい仕事ができない妻が、家を出ていく。夫は子育てとサラリーマンの両立に苦しみながら、裁判で子の親権を争う。
最悪のテーマだ。親が自分のエゴまるだしで、子どもを巡って争い、法廷闘争にまでもつれる。二人とも底抜けのクソ野郎だと思うが、裁判での主張を聞いていると、それぞれに子を思う親の心情が吐露されて、それはそれで胸を打つ。しかし、お前は親だろおっ、って叫びたくなる。いい年して、恥ずかしくないのか。大人としての弁えを持てと言いたくなるのは日本人だからだろうか。
落語に「子はかすがい」というのがある。夫婦がつまらぬ自尊心で復縁のきっかけをつかみそこねているのを、幼い子どもが素直な心で仲持ちをしてくれる。子どものいる立ち場として、まったくその通りだと思う。子の恩に感謝するほかない。なのにこの作品の夫婦は、子を巡って争う。くそくらえ、と言いたいが、そんな夫婦は世界中にあまたいるのだろう。
弁護士を長くしてきた人と話をしていた時、「裁判なんかしない方がいい」という発言が出てきて吃驚した。それじゃあんた飯の食い上げだろうと思ったが、人の幸せを思う人にはそれが本心だったのだと思う。自分が裁判をせねばならなくなったら、この人に頼もうと思った。
昔話で、どっちが本当の親かを判別するのに、2人の女が子どもの手を引き合い、子どもが痛いと泣くのに耐えかねて、手を離した方の女が本当の母親だというのがある。本当に子供の幸せを思えば、父親と裁判してまで親権を争うようなことはしないはずだ。この作品でも、弁護士が子どもを証人として裁判所に来させることを提案したのに対して、ダスティン・ホフマンがそれだけは認めないと言ったのが良かった。
裁判では原告も被告も、自分の利益ばかりを主張する。自分一人だけが幸せになることなどありえない。みんなが幸せになるようにと考えれば、裁判などすることはない。